第十一話 続・ピィチ救出作戦

「はぁあ。まったく、やんなっちゃう」

 静まり返った暗い部屋の片隅から、甲高い声が響いた。いや、響いたような気がした。その部屋へと続く戸を守る僧には、ほんの僅かな小鳥の囀りが聴こえただけであったから。

 

 闇が辺り一面を支配する。目を凝らしてはみたものの全くと言って良いほどに何も見えず、お喋り好きな彼女であっても、この時ばかりはしょんぼりと塞ぎ込んでしまっていた。

 どのくらい眠りについていただろうか……それすらも分からない。

 分かっているのは、常に側に居るはずの少女も、赤眼の竜人族の少年の姿も無く、この何処かも知れない真っ暗な家屋の一室で一人きりだという事。

「も、もしかしてアタシ……山賊に捕まっちゃったのかしら。ってことは、このままローストチキンに……?そんなの絶対いやよー!」

 ブルブルと身震いをした後、独り言はなおも続く。どうやら静けさに耐え切れず、喋らずには居られない様子である。

「セレナは無事かしら……ガイルが居るんだものきっと、ううん、絶対無事よね。頼りないやつだけどそう信じなくちゃ。とにかく今はこの部屋から脱出する方法を考えないと!」

 決心し翼を広げてはみるものの、この闇の中で不用意に飛び回るのも危険だ。

「……」

 彼女は、部屋の戸が開く瞬間を待つ事に決めた。勿論いつになるかは見当も付かないが、無駄に体力を消耗するより良いのではと考えついたからである。

「それにしてもお腹空いたわあ。このままじゃ食べられるより先にアタシがガリガリになっちゃいそう!あの子はちゃんとご飯食べたのかしら」

 セレナは家族であり、幼い頃から共に育ってきた分身の様な存在。どういった状況であれ気にかけるのも無理は無い。

「もしアタシと同じ状況だったら……心配だわあ」

 

 ふと、項垂れる彼女の眼下に何かが留まった。

 一度視線を逸らし、再度顔を向ける。

 

 気のせいではないようだ。その証拠に視線の先に居る“何か”から発せられた淡い光が、ぼんやりと辺りを照らしている。

 小さな光の球は、床に乱雑に置かれた木箱の隙間から現れ、徐々に徐々に数を増やしていった。

「り、リース様あ」

 震えながら、消え入りそうな声色で思わず母の名を口にする。

 やがて無数の光球は一つの大きな光と成り、部屋を薄っすらと見渡せる程の明るさとなった。

 そこでようやく、彼女は光の主の姿を捉える事ができたのである。

「あなた達は——」

 

 

 子供達三人は僧に導かれ、長く続く回廊を本堂へ向け進んでいた。

 夜という事もあり行き交う人も疎らであるが、その静けさが更に厳かな雰囲気を強めている。

 外観も立派であったが、内装も至る箇所に彫り装飾とタイルアートが施されており目を引く。少しのずれもなく列を成すアーチ状の柱によって高い天井が支えられており、たかが通路だが、この町の聖職者全てが足を運んでも余裕が出来る程度の広さはあるだろう。

「(な、なあマリン)」

しばらく内観を眺めていたガイルは、僧に気付かれない様こそりと彼女を呼んだ。

「(さっきはすまなかった。でも何であんなに嫌がってたのに来てくれたんだ?)」

 マリンは一歩先を歩き続けながら、視線のみを彼に送る。

「(そりゃあ、あんた達二人じゃ心許無いからよ。あたしだって鬼じゃないもの。それに……そろそろ“けじめ”を付けたいと思っていた所だしね)」

「(けじめ?)」

 ガイルと彼に手を引かれ歩を進めるセレナは、きょとんと彼女の背を見詰める。

「さあ——着きましたぞ。ご無礼のないように」

 話の途中で導引役の僧が子供達へと振り返り、ガイルは思わず言葉を呑み込んだ。

 

 案内されたその先は、かなりのスペースを有する広間であった。

 床は全てが大理石で、その上にフリースウェアー城で目にしたものと似たような真紅の絨毯が通路に沿って敷かれている。高い天井へと続く白を基調とした壁面には、セイル=フィードに古から伝わる神話を題材としたレリーフが彫られ、あらゆる種族や動物、精霊の他にドラゴンや、月と太陽を背にそれらを導く二人の神と思しき人物の姿が描かれている。

 日中であれば、天井の煌びやかなクーポラから陽の光が光芒の如く降り注ぎ、壁面一帯を照らしていたに違いない。それらの装飾の完成度はまさに芸術の域に達しており、全てを見終えるのに一日では足りる筈もないだろう。

 

 そして、顔を上げ正面へと目をやると——

 この地を護る水神インディゴを模した一際目を引く巨大な竜のレリーフが、子供達を悠然と待ち構えていた。

 

 大きく伸びた二対の翼は、前方の壁一面を包み込む様に覆い、深く浮き彫りにされた背鰭を持つ長い尾も相俟って、今にも動き出しそうな印象を与える。

 見開かれた瞳部分には蒼く美しい宝玉が嵌め込まれており、威圧感の中にも、穏やかな海を思わせる優しさを秘めているようにも見て取れた。

 その存在感と包容力といえば、神樹リースにも匹敵する程のものであった。

 セレナは纏った布の合間から周囲を見渡し、人の手によって創り出された素晴らしい光景に、ただただ呆気に取られていた。無論、すぐ隣で棒立ちしているガイルも、同じような表情を浮かべている。

 マリンだけは、蒼い瞳で静かに前を見据えていた。

 

「よくぞ参られた」

 内観に心奪われていた二人だったが、ふいに声を掛けられ、慌ててそちらへと目を向けた。そこには細やかな金の刺繍が施されたの白の衣を纏う僧が立っており、子供達へ満面の笑みを向けていた。

 年の頃は五、六十程度だろうか。これといって威厳は感じられないものの、福与かな体格と皺の深さが人の良さを表している。

「お久しぶりですわジョウガン様。お元気そうで何よりです」

 彼——ジョウガンと呼ばれる男へと微笑み返すマリン。だがその口元は、心なしか引き攣っている様にも見える。

「おお、マリン殿。やはりいつ見てもうつく……こほん。しかし、そなたから参られるとは余程の用であろう。ささ、立ち話もなんだ、客間へ参ろうぞ」

 そう言うとジョウガンは、マリンの腰辺りにふいに手を回してきた。

「(くッ!!)」

 セレナとガイルは一切気付いていないが、この時彼女は込み上げる怒りを制するのに必死であった。

 

 

 僅かに時は遡り——

 

「やっぱりそうだわ!」

 見覚えのある生物を前にして、小鳥の娘ピィチは再び甲高い声を上げた。

「でも、なぜあなた達がこんな部屋の中に?それも木箱なんかに詰められちゃって」

 無数の淡い光に照らし出され、この部屋は大きな倉庫だと判明した。

 光の球達は、言葉こそは喋れないものの、同じ“森の民”である彼女の心へと直接語りかける事が可能であった。

「ふんふん、なるほどね。…………ええ!?」

 ピィチは一驚した後、翼でもって急いで嘴を塞ぎ辺りを見回す。

 

 光の球——リースの森の精霊達は、先ずここが何処であるかを彼女に伝えた後、商人の行動、ジョウガンとの密会等、木箱の微かな隙間から垣間見えた全てを話してくれた。

 

「ゼロムね、あやしいと思ってたのよ!それにしても森の生物をお金に買えようだなんて、なんてひどいやつらなの!でも……ここがシエルの寺院なら、セレナ達も近くに居るかもしれないわ。なんとか知らせる方法はないかしら」

 とは言うものの。部屋には窓の一つなく、出入り口は重厚な扉で鎖されている。

 壁は厚い煉瓦で造られており打ち破る事も不可能ならば、彼女が一人で騒いだ所でどうにもならないことは確かであった。

「やっぱり扉が開く瞬間を待たなきゃダメかしらねえ」

 考えが纏まらず力なく俯くピィチ。そこへ、一粒の光球が徐に近寄ってきた。

「?」

 すると、その精霊の後を追うようにして、木箱の隙間から無数の光球が姿を現し、いつの間にか彼女を取り巻いていた。

 精霊達は揃って光を放出し、必死で彼女の心へと語りかける。

 

「そうだわ……!」

 

 森の民にしか聞き取る事の出来ない、心に響く音色。ここに居る精霊達全ての声を合わせれば、少女に——セレナに届くかもしれない。

 ピィチは仲間の意思を受け取ると、すぐに実行に移った。

 

 

「ピィチちゃん?」

 客間の入り口付近に立っていたセレナがふと顔を上げた。彼女に名を呼ばれた……そんな気がして、耳元を塞いでいた布を払おうとした。

「どうした?今マリンが話し付けてくれるらしいから、まだこれ取っちゃだめだぞ」

 しかしその手は、側に居たガイルによって遮られる。

 それでも、尚も聴こえるピィチの声。セレナの気もそぞろな様子に、ガイルはどうしたものかと目を丸くする。森の民ではない彼には聞こえる筈もないだろう。少女の心に直に伝わる音色が——

「ガイル、あのね」

「だーかーらー!さっきから言ってますでしょ!?」

 セレナの言葉は、客間から突如として響き渡った怒声によって、またも遮られた。

「“水神の巫女”であるあたしにだって、インディゴ様への献上品くらい見ても良い権利はあると思うわ!」

「マリン殿の要望とあらば聞き入れたい所だが、こればかりは……」

「それとも何か、大っぴらに見せられない理由でも?」

「それは……」

 頭髪の無い額からは脂汗がふつふつと噴出し、かなりの焦りが窺い知れる。

 彼女の迫力に圧倒され、話し合いに応じていたジョウガンはすっかり縮こまってしまった。

 

「水神の巫女?」

 セレナとガイルは、聞きなれない言葉に目を見合わせる。

「なんだあいつ、ただの料亭の娘じゃなかったのかよ。……ん?」

 ふと、セレナへと向けた視線を逸らすと、彼女の後方の通路を歩む人影がふいに映りこみ、ガイルは一度目を凝らす。彼はしばらく眉をしかめ、渋い表情を浮かべた後、突然その人物の居る方へと駆け出した。

「ガイル?」

 セレナも、マリン達が気がかりだったが、尋常ではない様子の彼の後を追うことにした。その先に居たのは——

 

「おいゼロム!なーにコソコソしてんだよ」

「がががガイル様!!こ、こんな所で会うなんて奇遇ですなあ!いや、インディゴ神様のお導きかな!?あは、あはははは……」

 そこには、いつかの小太りの商人の姿があった。両手に靴を持ち忍び足で向かう先は、明らかに寺院正門の方角である。

「導きだかなんだか知らねえけど、お前に聞きたい事がある。ちょっと良いか?」

「な、なんでしょうかねえ?この町一の食事処なら海の花亭ですぜ」

「ああ、それは俺も知ってるよ。気が合うなってそんな事聞いてるんじゃねえ!!」

「ひい!」

「ガイル!」

 二人のやり取りの途中で、セレナが突然声を上げた。

 今にも飛び掛らんばかりの勢いで詰め寄る少年から逃れられて、ほっと一息つくゼロム。しかし、彼の安息はほんのひと時に過ぎなかった。

「みて」

 少女のか細い声に促され、ガイルはゼロムのターバンへと目を向ける。

「なんだ?この光の球みたいなの」

「げッ」

 ガイルの言葉を聞いた彼の顔色が、一瞬で青白く染まった。

「この子、リースの森の精霊だよ。どうしてこんな所にいるんだろう……」

 追い討ちを掛けるように続けられるセレナの言葉に、口をぱくぱくさせるゼロム。ターバンの隙間から現れた光の球は、確かに神樹リースの根元付近を浮遊していたものと同じであった。

「……確か、聞いた話だと昔からリースの森の魔法生物は取引禁止だった筈だな」

「こ、これは、その!」

 ゼロムは泡でも吹いて失神してしまいそうな程に、目を白黒させている。だがその心情を知ってか知らでか、ガイルは彼の肩に手を置き満面の笑みを浮かべ告げた。

「お前、分かり易いやつだな!」

 その笑顔が妙に恐ろしい。

 

「さて——貨物の場所を教えてもらおうか」

 ゼロムの両腕には解いたターバンが巻かれ、二人のもとから決して逃げられない様になっていた。

「さ、さてねえ。どこでしょうねえ。アッシにはさっぱり分かりませんねえ~……」

 鋭い眼光を送るガイルの問いにも、視線を合わせず口を割ろうとしない彼であったが、その最終手段も次の瞬間あっけなく破られる事となる。

「ガイル、この先の通路の右奥だよ」

「きええーー!!」

 思いがけないセレナの発言に、奇声を上げるゼロム。

「さっきからピィチちゃんの声が聞こえるし、この精霊さんもそう言ってるもの」

「でかしたセレナ!んじゃ、早速向かうか」

「うん!」

 ガイルの手綱となったターバンの先で、小太りの商人は真っ白な灰と化していた。