第十二話 守る為の強さ

 静寂の中に足音だけが木霊する、煉瓦造りの通路奥——

 セレナ達一行は長く薄暗い階段を下りると、じっとりと湿った、塩気を含んだ空気が漂う広間に出た。窓の一つも無い通路はそこで行き止まりになっており、一対の扉の両端に二人の男僧がぴくりとも動かずに立っているのみである。

 階上の華やかな寺院の雰囲気とは打って変わり、壁に一定の間隔を保ち掛けられた松明の灯りだけが、ふいに現れた三人の姿をおぼろげに照らしていた。

 

「む、如何なされましたかな?」

 

 静まり返った空間に響き渡る複数の足音の方へ、僧の一人が顔を上げる。

「こちらは立ち入り禁止ですぞ。速やかに戻られ……おや、ゼロム殿」

 松明の明かりにぼんやりと照らされたその男は「へへ」と、苦し紛れに笑みを浮かべたが、この暗さでは汗だくの額すら気付かれる筈も無いだろう。

 僧はゼロムを不審に思う様子も無く、両脇の見慣れない人物に目を向けた。

 一人は頭のてっぺんから足先まで毛布を被っており、顔や性別を窺う事すら出来ないものの、微々たるものではあるが何か不思議なオーラを纏っているかに見える。

 そして、もう一人——

「いやあねぇ、珍しい種族の子供を捕まえてきたもんでね……聞いて驚くなよぉ?あの黒竜戦争で壊滅した竜人族の生き残りさ!」

「なんと」

 僧達はゼロムの説明を聞き、互いに丸い目を合わせる。

「いや、まあ、だからその……ぐっ!!」

 竜人族の少年ガイルは暗い表情を浮かべつつ、後ろ手に縛り上げたゼロムのターバンを持つ手に思い切り力を入れた。

「ま、まあ今は大人しいが少々荒々しい性格なもんでね、と、閉じ込めておいてもらえんかなとっ?ジョウガン殿にも話はつけてある!」

「ほう、それはそれは。流石はゼロム殿ですな」

「へへ……」

 もうどうにでもなれ。俺は命が惜しいんだ。

 冴えない小太りの商人は、ゆっくりと開いてゆく倉庫の扉を前にして落胆の表情を浮かべた。

 

 

 

「まったく……喧しい小娘だなぁ」

 それまで、少女の悲鳴にも似た怒号が木霊していた客間は、その呟きでしんと静まった。

 深海の様な青く大きな瞳が、突如として態度を豹変させた男を捕らえる。

 皮製のソファに福与かな体を沈めた男——ジョウガンは、目の前で呆気にとられている少女、マリンを他所にぷかぷかと葉巻を吹かし始めた。

「水神の巫女だかなんだか知らんが、どうやら深入りしすぎたようだな。黙ってわしに仕えておけば幸せになれたものを……惜しいのう。実に惜しい」

「な、なんですって?」

 ジョウガンの僧正らしからぬ発言、そして立ち込める煙に気を取られていたマリンであったが、ふいに客間の扉、中庭へ続く通路へと目を向けると、そこには数人の僧兵が槍を手に身構えていた。

「安心しなさい。殺したりはしないよ。美しいまま私の側に置いておく術ならいくらでもあるからな」

「まさか……洗脳!?」

 僧兵達の虚ろな眼を一見すると、強気な態度とは裏腹に少女は唾を飲み込む。

「ふふ、アンタにそんな大そうな技が使えるとは驚いたわ。ただの狸じゃ無い様ね。その術を使えば、街の信者達からお金を騙し取る事も可能な訳か」

 葉巻を持つ肉厚の手がぴたりと止る。

「少々言葉が過ぎるのではないか?どうやら巫女としての"しつけ"が必要なようだ」

 少女に思いもよらぬ挑発的な台詞を投げられ、耳まで真っ赤に染めたジョウガンが、両手の平を一度だけ打ち付けると同時に——

「!!」

 通路に控えていた僧兵達が怒涛の如く客間の中へと流れ込み、マリンはものの数秒で魂の抜けた“操り人形”によって包囲されてしまった。

「ふん、ようやく本性を現したわね」

 ざっと数えて十人程だろうか。皆長槍を構え、僧衣の下に簡素な造りの皮鎧を装備している。どうやら、次の合図までは仕掛けてこない様子ではあるが……

「一人の女の子にこれだけの人数を用意するなんてぬかりないのね。まあ、あたしも修行を重ねた水神の巫女。なめてもらっちゃ困るわ!」

 少女はそう吐き捨て、グラスに注いであった水を顔面へ向けて勢い良く放つと、ジョウガンが混乱している僅かな隙を狙いテーブルを踏み台にして、ふわりと宙に身を躍らせた。

「くう!こざかしい真似を!」

 ジョウガンは慌てて水を拭うと更に数回両手の平を打ち付け、その直後に僧兵達の持つ槍が宙を舞うマリンへと向け一気に突き出された。

 だが、彼は目を疑った。

 槍が捕らえていたものは、華やかな装飾の施されたショールのみで、肝心な少女の姿が無い。

「どこへ行った!?」

 

「ここよ」

 

 澄んだ声音が、部屋の外から響く。

 まさかとそちらへ目をやるジョウガン。そこには今まで客間に居た筈の、僧兵達の矛の切っ先に居る筈のマリンが、大理石造りの噴水の上で腕組をして立っていた。

 吹き抜けの小さな中庭には、白銀の月明かりが注ぎ込み、それを受けきらきらと輝く流水を背に佇む様は、さながら水の女神の彫像であった。

 ジョウガンは、その光景に息を呑みしばしの間見惚れていたが、彼の手にした葉巻が床に落ちると同時に、止まっていた時間は再び流れ出した。

「お……おい、お前達何をぼーっとしている!さっさとあの女をとっ捕まえんか!」

 何度も何度も、激しく手を打ち合わせる乾いた音がそこら中に響き渡る。だが僧兵達は、先の攻撃で絡み合った槍を解くのに手間取っており、中々行動に移れない。

「なるほどね」と、マリンは心の中で呟く。

 その行動が、彼らや街の信者を操っているのだと。

 

 ようやく槍の刃先が離れると、僧兵達は凄まじい剣幕のジョウガンの合図に従い、中庭に居る少女の方へと駆け出した。それを伸びをして待つマリン。

「おのれ~~!!」

 全身を真っ赤にして憤怒する様は、さながら茹蛸である。

 マリンは彼らの様子を窺いしえる程に冷静ではあったが、それ故に確信していた。この人数相手に一人で闘うには、それなりの長期戦になるだろうと。

 再び勢い良く向けられた槍の柄の部分を踏み台にして、宙へと軽やかに身を翻すと、僧兵の群れの外へとふわりと着地する。彼女にとって、持ち前の素早さを生かした攻防はお手の物である筈だった。

 しかし、着慣れぬ長手のローブの裾が、着地と同時に彼女の足をもつれさせた。

「きゃあっ!?」

 鈍い音を立て、マリンはその場に激しく尻餅を付く。慌てて体勢を立て直そうとするが、どうやら足首を強く捻ってしまい、上手く立ち上がることが出来ない。

「ふう……おやおや?高飛車もここまでかなマリン殿。手間取らせおってからに」

 冷静さを失った頃にはもう遅い。彼女は十数の武装兵と、いわば件の黒幕でも有るジョウガンの手の内にすっぽりと収まってしまった。

「……っ」

 男達がじりじりと詰め寄る中で、マリンの脳裏に"あの日"の出来事が過ぎる。

 

 八年前のあの日……シエルが魔族の襲撃にあった、運命の日。

 純白の美しい町並は炎と絶叫に包まれ、逃げ惑い泣き叫ぶ人々の波が狭い路地に押し寄せる。

 漆黒の炎を操る紅眼の魔族。抗う術も無く、目の前で命を奪われた愛しい弟。

 そして、魔族の手から救ってくれた、氷を操る少年の事を。

 

(助けて……)

 

 今まで弱みを見せずに生きてきたつもりだった。父を支える為、弟の敵を討つ為、誰よりも強くなってあの人に恩を返す為に。

 けれど結局は一人じゃ何も出来ない自分が悔しくて、一粒の涙が頬を伝った——

 その時である。

 

「おいおい、その辺にしておけよエロ狸!」

 聞きなれた声が響き渡り、通路の方へと目をやると、そこにはいつかの二人が佇んでいた。

「セレナ……ガイル!」

「マリンちゃん大丈夫……」

 へたり込むマリンと、再び顔を真っ赤に染めたジョウガン一行の元へ、セレナとガイルが駆け寄ってくるが、彼女は二人が辿り着く寸での所で「だめよ」と一喝した。

「あんた達は危ないから下がってて。これはアタシの問題でもあるんだから」

 気付かれない様に涙を払うと、痛む足をさも何事も無いかの様に立ち上がり、僧兵達に構えてみせる。

 しかし痛みからくる足の震えと、余裕を微塵も感じさせない表情には、ジョウガンも、少し離れた場所に居るセレナとガイルですらも気が付いていた。

 

 これ以上、大切な人達を傷付けるもんですか。

 心では強くそう思っているものの、肝心の身体がピクリとも動かない。哀れみの眼差しを向けているジョウガンが一度手を打ち合わせたら、先ほどの様に軽やかに避けられるのだろうか?十数の僧兵相手にたった一人で何が出来るだろうか?

 悔しさで胸が張り裂けそうになった時——

 

 広間に歌が響いた。

 

「……セレナ」

 海の花亭の客室で聴いたものと同じ、セイル=フィードに伝わる子守唄。

 一節一節が紡がれていく度に、何らかの呪縛に締め付けられていた心が、解き放たれる様に軽くなってゆく。

 それを確信へと誘ったのはガイルの一言だった。

「マリン、時には手を借りる事だって相手の為にもなるんだぜ。そうセレナが俺に教えてくれたんだ」

「ガイル……」

「マリンちゃん、一緒に来てくれた時すごく嬉しかったよ」

 歌を止め、セレナも続ける。

「私達にも、すこしだけ恩返しさせてくれないかな」

「……」 

 

 我慢、強がり。解かれていく心の鎖——

 

「くう~~ガキ共の遊びには付き合っていられん!」

 歌が止むと同時に、我に返ったジョウガンが業を煮やして激しく手の平を打ち合わせる。

「お前等!ガキ共全員ひっ捕らえろ!!」

「そうはさせるかよ!」

 僧兵達の矛先がマリンへと一斉に向けられたその瞬間、ガイルは風を切るスピードで円の中心部へと突進し、腰に掛けていたショートソードを勢い良く引き抜くと、鈍い音と共に数本の槍を跳ね除けた。

 しかし、残りの“操り人形”達はガイルの乱入にも動じず、先の指令に従い攻撃を繰り出し続ける。

 身を翻し寸での所でかわすが、動けないマリンを守りながらの攻防は至難の業だ。

「(セレナ……!)」

 敵の攻撃を上手く避けながら、観戦に夢中のジョウガンに気付かれない様、目で合図を送る。

 少女はそれを受け、コクリを首を縦に振った。

 再び二人の長槍を得物によって弾き返すガイル。彼が敵の気を引いている隙に、セレナは噴水の陰に隠れながら、目の前で繰り広げられる攻防に見入る彼女にそっと声を掛けた。

「(マリンちゃん、こっちに)」

 ふいに名を呼ばれ、驚いて振り返るマリン。

「セレナ!あんたまでこんな危険な場所に……」

「(手当てしなきゃ。薬草を持ってきたの。私にはこれぐらいしかできないけど)」

 春風の様な無垢な笑みを向けられ、マリンの脳裏に再びあの日の出来事が過ぎる。

 こんなにも危険な戦場に自分よりも幼い少女が居るのだ。立ち上がらなければ、きっとあの日と同じ運命を繰り返してしまう。

 何も知らずに命を失った弟と同じように——

 

 それだけは絶対にイヤ。

 

「え?マリンちゃん今なんて……」

「セレナ、ありがとね。もう大丈夫よ」

 エメラルドの瞳を真ん丸くする少女を優しく一撫ですると、今度は足の痛みなど感じさせない程に勢い良く立ち上がり、ぐっと思い切り伸びをする。

「さっきの歌で気が楽になった分、体の調子も良くなったみたい。さっさとガイルの所に戻らないとね」

 そう言うとマリンは、片目を瞑って微笑み返した。

 

 戦闘に巻き込まれまいと、客間に戻り指示を送っていたジョウガンが、噴水付近の少女達のやり取りにようやく気が付いた。

 しかし男が「まずい」と思った頃にはもう遅く、ローブの裾を縛り上げて露になった、羚羊の如く美脚から繰り出されるマリンの足技を受けて、僧兵の一人が宙へと弧を描く様に舞い上がった。

 続けざまにもう一人。回避が困難な程のスピードで、拳による猛攻を加える。

「おいおい、怪我は平気なのかよ!」

 槍を跳ね除けた後、ガイルは背中合わせになったマリンに問う。

「なんて事無いわ。あたしはこんな所で立ち止まっていられないの」

 迫りくるを一撃をかわした後、少女は続けた。

「それを……あんた達が教えてくれたから」

 

 その直後である。

 マリンの胸元に揺れる深青色のペンダントから、突如として眩い光が溢れ出した。

「なに!?」

 その場に居た誰もが、小さな中庭一帯を明るく照らす程の輝きに目を奪われ、動きを止める。

 水神の巫女に代々伝わる竜の目をモチーフにした宝玉が、まるで主である少女の意思に応えるかのように、徐々に徐々に光を強めてゆく——