第十四話 それぞれの想い

 港町シエルの朝は早い。

 騒動などつゆ知らず、慌ただしく出港する漁師達の喧騒の中で、子供達はとぼとぼと自警団に連行されてゆく“偽りの聖職者”ジョウガンの後姿を静かに眺めていた。

 ここシエルでは、自警団が出向く程の動乱などごくごく稀にしか無く、東の空が薄明かるくなるにつれ、広い浜辺には騒ぎを聞きつけた住民達がちらほらと目に付くようになる。

 これから沖へ出る間際の漁師、噂話が好きな恰幅の良い女性、早起きの子供達——

 その中に、マリンの片親であるウォーダンの姿もあった。

 娘が真夜中になっても帰らないことを気に掛けていたのだろう。砂浜に立ち尽くす子供達を見つけ足早に近付くと、顔をしかめ一眺した後、下着姿のマリンへ向けて羽織っていた薄手の上衣を放り投げ言い放つ。

「嫁入り前の娘が、親に心配掛けるんじゃねえ」

 ウォーダンは自分なりに厳しく言ったつもりだった。だが、彼が顔を背ける間際の愁いを帯びたその表情に、子供達は気が付いていた。

 マリンは踵を返した父の背を見つめ、唇を噛み締めて一言だけ呟いた。

 

 ごめんなさい……と。

 

 

 

「もーほんっとうに大変だったんだからっ!」

 真っ青な空の下、露店商にも引けをとらない程の甲高い声が響き渡る。

 微笑むセレナの肩にちょこんと留まってピイピイと鳴き続ける彼女に、ガイルはそっぽ向いたままハイハイと手をぱたぱたさせた。

 あの時——ゼロムと寺院の地下へ向かった後、倉庫前で一悶着有り、その間に逃げ出すことが出来たピィチは、子供達と別れて自警団の元へ向かっていたのである。

 彼女が言うに、言葉を喋れる鳥に心底驚いた団員達は、いくら説明をしてもやれ魔族の手下だの呪われた縫いぐるみだのと中々聞き入ってはくれずに、相当苦労したそうだ。

 しかし、住民らの間に広がっているジョウガンの良くは無い噂を聞き、以前から男に疑問を抱いていたと言う団員の登場で、話は一変したらしい。

「ガイルあんた、アタシの心がどれだけ打ち砕かれたかわかってるの!?こんなにカワイイ小鳥ちゃんにあの人間達ったらひどすぎるわ……セレナとは離ればなれになっちゃうし、捕まって怖い思いするし、ほんと散々な一日だったわあ」

「ピィチちゃん頑張ったもんね。もう少し早く迎えに行ければ良かったな」

 そう言ってセレナが指で喉元をころころと撫でると、ピィチは満足そうにそれを受け入れた。

「なんで俺だけが責められるんだよ……」

 ガイルはその和やかな光景をもの言いたげな目で見つめると、今までの疲れがどっと押し寄せたのか、深く長いため息をついた。

 

 二人と一羽は今、旅支度をする為にシエルの町を回っているところだ。

 通りを歩いている途中、露店の前で輪になり先の騒動の話題を交し合っている人々、そして俯きながらそそくさと過ぎ去って行く僧侶達に何度か遭遇した。

 漁業と並んで訪客の観光の名所であり、住民達にとっても、古から信仰する水神を祀る寺院での現最高責任者の不祥事は、大きな衝撃であったに違いないだろう。

「なんだか悪い事しちゃったのかな」

 目を伏せぽつりと呟くセレナ。そんな彼女の頭を撫でながら、ガイルは静かに「いいや」と返した。

 

 

 目的の道具屋に着くや否や、ガイルは突如奇声を上げた。

「そう言えば財布……自警団に預けられたままじゃないか!?」

「ちょっとそれどう言うこと!?何があったか知らないけどなんでもっと早く言わないのよー!」

 ピィチのツッコミに言い返す言葉も無かった。まさか"あんな"胡散臭い商人に掏られたなんて。

「お、お前を助けるのに必死だったんだよっ。あーもう、ちょっと取ってくるわ!」

「探してるのはコレのこと?」

 ガイルがセレナ達の側を離れる寸前、澄んだ声音が彼の足を止めた。振り返るとそこには革の小袋を手に佇む、黄金色の髪が美しい少女の姿が——

「……マリンちゃん!」

 駆け寄るセレナを、サファイアの瞳を細めながらマリンが抱き留める。

 今朝の騒ぎの後、二人は海の花亭で見送るマリンとウォーダンに礼を言い、確かに別れたはずであったが。

「わざわざこんな町外れまで届けに来てくれたのかよ。有難うな」

 袋の紐を結びながらガイルが訪ねる。しかしマリンは小さくかぶりを振った。

「んー正確には、違うわ。あたしもあんた達と一緒に旅に出ようと思ってね」

 その唐突過ぎる言葉に、マリンを除く三名は歩みを止め、一斉に顔を見合わせた。

「いや……何の心変わりか知らねえし、俺達は別に構わないけどさ。お前ウォーダンさんに心配させるなって」

「あら、お父さんはあたしが側に居る方が心配みたいよ」

 捉え難い返答に、再び顔を見合わせる二人と一羽。マリンは、そんな一行をよそに平然と歩を進める。

「そりゃあ僧侶に平手くらわせたり、自警団の世話になるような娘だもの。お父さんももういい歳だし、毎日のように問題起こされたら胃がもたないわよねえ。そんな子供に嫁入りはまだ早いって。だから……」

 呆気にとられている仲間達へ振り返るマリン。

「今は自分のやりたい事をやりなさいって!」

 彼女が微笑むと同時に、胸元のペンダントが眩しい日差しを受けてきらりと光り輝いた。

 

 遮るものなど何もない、どこまでも広く澄み切った青空。町を駆け巡る心地の良い潮風に身を任せ、純白の鳩の群れが一斉に飛び立ってゆく。 

 それは、セレナ達一行に新たに加わった勝気な少女——マリンの旅に、確かな希望をもたらすものになるであろうと……

 そんな予感を胸に抱きながら、子供達は美しき港町シエルを後にした。

 

 

 

「よお、旦那。本当は寂しいんじゃないかい」

 カウンター席に腰掛けた初老の男が、酒を啜りながら独り言のように呟く。店の常連でもあるその白髭の男は、お気に入りの酒と、新鮮な魚介類を塩漬けにして作られた肴を毎日のように頼む独り者だった。

 いつもボロボロの服を着ており、今のように白昼から酒を飲んでは酔い潰れて、よく娘に叱られていたの、ウォーダンはをふと思い出した。

「なあ、旦那よお……」

「寂しくないって言ったら嘘になるだろうな」

 二度尋ねられて、カウンター越しの彼はようやく言葉を返した。

「大切な娘だぜ。誰だってどんな理由であれ、別れる時は寂しいのが親ってモンだろ。でもアイツはもう子供じゃねえ……子供じゃねえんだよ。だから、いつまでも親が干渉してる訳にもいかねえ」

 洗い終えた皿を拭う音だけが静かな店内に響く。

 彼は目の前の客につられて、いつものようにグラスに酒を注いではみたが、今日に限ってはそれを口へ運ぶことはなかった。

「まあ、いつか必ず帰ってくるさ。今より何倍も良い女になってな。その時はまた、あいつの不味い肴でも頼んでやってくれや」

 

 店を出て行く男の背中を目で追った後、ウォーダンはカウンターの隅から何かを取り上げた。

 小さな木製のフレーム。それは二階奥の部屋に有る物と同じものであり、古びた一枚の絵が収められている。そこに描かれているのは、娘と瓜二つの美しい女性と満面の笑みを浮かべる男児の姿。

「素直じゃねえって言いたいんだろ。わかってるさ。本当に俺そっくりに育っちまったぜ……」

 彼は目を細めて、今は亡き愛する二人へと穏かに語りかけた。

「どうせお前が後押ししたんだろう?ちゃんと責任とって見守ってやってくれよ。マリンのことを、な」

 

 

 

 日は丁度真上に昇り、照りつける日差しの暑さに耐えかねた一行は、歩みを止め木陰へと退避した。

 真っ先に休憩を促したのはマリンである。

シエルを出て東へ数時間。ガイルは予定していたよりも早い休憩に少し戸惑いがあったが、セレナもあの召喚魔法を使った際の疲れが完全には取れていないらしく、少女達の意見を優先する事にした。

 木陰には乾いた風が吹いていた。港町に吹く塩気を帯びた風とは全く異なる、サラリと乾ききった風である。

 子供達は周囲を注意深く見渡した後、危険がない事を確認すると、その場で昼食を取る事に決めた。

 

「それにしても、あんな魔法初めて見たわ。エルフは魔法力が高いって言うのは知ってるけど、誰でも使えるものなの?」

 マリンは手作りのハムエッグサンドかじりながらセレナに問いかけた。

「うーん、わからない……」

 葡萄パンの欠片を肩の上のピィチに分け与え、少女はふるふると首を横に振る。

「まだ私以外のエルフに会ったことがないから。それに、ガイルと一緒に戦うまで自分がこんな力使えるなんて知らなかったの」

「へえ。じゃあ生まれながらに授かってるってことかしら。先代の巫女だったあたしのお母さんも特別な力を持っていたみたいだけど、セレナのパパやママもきっとそうなのね」

「パパ……ママ……特別な力……」

 セレナはマリンの言葉を受け、戸惑い目を伏せた。

 両親の正体を明かすと言う行為は、今の少女にとって相当な勇気が必要だからだ。たとえそれが、これから運命を共にすることになるであろう仲間であっても——

「俺達はその両親を探す為に旅してるんだよ」

 そんな二人の会話に割って入ったのは、隣でりんごを頬張っていたガイルだった。

「赤ん坊の頃に生き別れになってな、森で動物達に育てられたらしい。俺はその旅の手伝いをしてるってわけだ」

 マリンと共に彼の話に真摯に聞き入っていたセレナ。しかし次の瞬間、思いもよらず強く抱き締められ、その衝撃に目を白黒させた。

「ちょっと……こんなに小さいのにそんな苦労を背負ってるの!?変なこと聞いちゃってごめんねセレナあ!」

「こら~アタシがつぶれちゃうじゃないのー!」

 感極まったマリンの胸の谷間に挟まれたピィチは、セレナの肩の上で黄色い悲鳴をあげた。

 

 嘘はついていない。

 少年は、いつか彼女にも全てを正直に話そうと、その和やかな光景を眺めながら胸に誓った。

 勿論、自分自身の過去や、兄ことも——

 

「と、ところで、マリンちゃんはどうして旅に出ようって決めたの?」

 ふいに腕の中のセレナに訪ねられ、マリンはようやく彼女から離れた。

「言ったでしょ?やりたい事が有るって」

 巫女の修行服を纏ったマリンは、先のやり取りで生じた乱れを正しながら続ける。

「とある人に恩返しがしたいの。幼い頃に命を助けてくれた恩人よ。けど、その人がどこにいるのかも、生きてるかどうかだって定かじゃない。だから、あたしの理由も人捜しみたいなものだけどね。帝都グランデュールに行けば何か分かるかもしれないから……」

 ガイルが顎に手を当てうなずく。

「目的は一緒か。やっぱりあの国には行ってみる必要が有りそうだな」

「それと」

「え?」

 マリンの急な声色の変化に、聞き手の子供達はハッと顔を上げた。

「強くなりたい。町を襲って弟の命を奪った魔族を倒せるぐらいに」

 

 ガイルは身体が硬直するのがわかった。なぜなら、マリンのその言葉に今までに感じ得た事の無い胸騒ぎを覚えたからだ。

 そして隣に座っていたセレナにもまた、得体の知れない不安感が過ぎった。

 

 いつか彼女にも、全てを話す日が必ず訪れるだろう。

 

 そう、いつか必ず——