第十五話 未知の大地へ

 セレナ、ガイル、マリン、そして小鳥の娘ピィチは、港町シエルの真東に位置する砂漠地帯へと歩みを進めていた。

 目的地までは見晴らしの良いステップとなっており、途中で何度かゴブリンやリザードマンと遭遇し戦闘にもなったが、子供達の力でも難なく撃退する事が出来る程度であった。

 水神の巫女の加入は、二人にとって頼れる戦力となった。マリンの得意とする舞は傷こそは治せないものの、セレナの疲労や、前線で攻防に徹していたガイルの体力を癒す不思議なパワーを秘めていたからだ。

 休憩や談話を交えながら更に数時間。

 沈み行く夕日で空が赤く染まる頃、一行はようやく目指していた場所に辿り着いたのである。

 

 通称"無限の砂漠"。

 

 セイル=フィードの南側で暮らす住民は、余程の用が無い限りこの場所を越えて北側へ向かおうとはしない。なぜなら、この砂漠には得体の知れない化け物が住み着いており、名前の通り一度足を踏み入れたが最後、その化け物の餌食となり、二度と戻っては来れないなどと言った言い伝えが有るからだ。

 しかし、この恐ろしい砂漠を越えた先には、なんでも願いを叶えてくれるというそれはそれは素晴らしい奇跡の滝が有り、今でも命知らずのバガボンドがそこを目指しては、夜な夜な行方知れずになっているという。

 子供達は、幼い頃に町を訪れる吟遊詩人や行商人、そして森の民から耳にたこが出来る程謳い聞かされていた事を、目と鼻の先に広がる砂地を前にふと思い出していた。

 砂漠への這入口付近には、大き目のパオ一張りの周りに数人のラクダ引きが屯している。西の空に僅かに残る橙と同じ色のランプを灯し、魔獣避けの火を焚き、この場所を拠点として生活をしているようだ。

 一行がわざわざ時間を掛けてここへ寄ったのは、ラクダ引きを雇う為でもあった。たとえ言い伝えが語り部達の絵空事であったとしても、徒歩でこの死の砂漠を越えるなどと言う考えは毛頭なかったからである。

 

「あのー」

 

 ガイルは、手綱で繋がれたラクダの側に腰を下ろしている一人の男に声を掛けた。薄汚れた長衣姿の男は、夕闇の中から現れた子供達を片眉を上げ見上げると、どこからとも無く取り出したキセルをぷかぷかと吹かしながらぼそりと呟いた。

「他をあたんなよ」

「え?」

 不意の返答に面食らう一行。ガイルが理由を問う前に、彼は全てを察しているかの如く話を続けた。

「ラクダを借りたいんだろう?やめときな。近日この一帯は以前にも増して魔獣が現れるようになった。砂漠も例外じゃねえ……三日前、仲間のキャラバンが壊滅状態になってなァ。それはひでえもんだったぜ。死人が出なかっただけマシだったがな」

「そんな……」

 セレナがその状況を思い浮かべ目を伏せる。

「でもあたし達、ここを越えて帝都に行かなきゃならないの!」

 隣で意気消沈しているセレナの肩を抱き寄せながら、マリンも身を乗り出して反論する。

「勝手にしな。俺達はまだ死にたくねえ。こんな時に砂漠を渡ろうなんざ無茶にも程があるってもんだ。今回は遠慮させてもらうぜ……あんたらも命が惜しけりゃ諦めるこったな」

 

 それ以上の説得は無意味と判断した一行は、停留するパオの一団を離れ途方にくれていた。

 予想外の出来事。なぜならこの場所でラクダ引きを雇うか、砂漠を越え北側へ向かうキャラバン隊と行動を共にする予定を立てていたからである。今夜の内にとは言わないが、あんな状況ではいつ運行を再開するか皆目見当がつかない。

 まさか、幼い頃に聞いた言い伝えが未だに残っているとは——

 子供達は奇しくも全く同じ思いを抱いていた。

 

 空を染めていた夕日はとうに落ち、目を凝らすと既に無数の星々が輝きを競い合っている。

 砂漠の気温の変化は著しい。昼間は歩くだけで汗ばむ暑さだったが、今は上着を着ていないと過せない程にまで下がっていた。幸いだったのが、付近には未だ背の低い緑が点在していた事。ガイルは集めた草を藁代わりにして火を焚き、荷物袋からコートと簡素なテントを取り出し、手早く張ると少女達に入っているよう促した。

 静か過ぎる程の夜の帳の中で、最初に声をあげたのは小鳥の娘であった。

「ねえねえ、これからどうするの?もしここでラクダ引きが見付からなかったら、アタシ達先へ進めないんでしょ?」

 ピィチに訊ねられたガイルが間を置いてから応える。

「少し早いけど、取り合えず今日はもう休んで明日また頼もう。明るい内なら気が変わるかも知れないしな。砂漠をラクダ無しで越えるのは多分無理だ。それが駄目なら他を探すか——奇跡を信じるしかないな」

「奇跡……こんな時に役に立つ魔法が使えたら……」

 セレナがそのやり取りを聞いてぽつりと呟く。テントで寝転んでいるマリンは、入口付近で三角座りをしているセレナに励ますように声を掛けた。

「ま、長い旅になりそうだし困難は付き物よ。明日に期待しましょ!でも……こんな事になるなら昔話を信じるべきだったわあ。まさか自分がこの“無限の砂漠”を越えようだなんて日が来るとは夢にも思ってなかったし」

 少女は一度大きなため息をついた後、次に大きく身震いをした。

「それにしても寒いわねえ……セレナ、大丈夫?こっちに入ってなさいよ」

「うん、有難うマリンちゃん」

 時間が経つにつれ気温も徐々に下がってゆく。ガイルはこの現状を危惧していた。今魔獣の群れに囲まれたら?こんな小さなテント一つで砂漠の夜を越えられるのだろうか?

 旅を嘗めていた部分も有ったのかもしれない。こうも早く壁にぶち当たるなんて。

「……そうだ」

「どうしたの?ガイル」

 真摯な面持ちで、静かに立ち上がった彼にセレナが問う。

「ちょっとさっきのパオに戻って色々調達してこようと思ってさ。二人はここにいてくれよ」

「ええ、気を付けなさいよ」

 マリンの後押しを受け、ガイルが踵を返したその時だった。

 

「やめときな」

 

 薄暗い空間から不意に流れた一つの声音。不意に制されたガイルは足を止めそちらへ振り返った。

 その直後、砂漠側の暗闇の一部がぼんやりと明るくなり、ランプの温かな光と軽快な鈴の音を響かせゆっくりと姿を現したのは、大きな荷台を備え付けたラクダ車であった。括り付けられた複数の明かりの煌々とした眩しさに、子供達は皆、思わず眉をひそめる。

「奴らぼったくりだよ。女子供のよそ者なんか、何されるかわかったもんじゃない」

 徐々に目が慣れ始め、ようやく主を視認することが出来た子供達は、今度はその姿に目を丸くした。荷台を引く二頭のラクダの片方から一行を見下ろしていた声の主は——

「男の……子?」

 

 

「しかし無謀だよなあ。そんな薄手の装備で夜を越えようなんてさ」

 少年に図星を指され、隣のラクダの背の上でガイルはガックリと項垂れた。言葉を失ったガイルの代わりに、彼の後ろに相乗りしていたセレナが聞き返す。

「ええと、セティさんありがとう。急なお願いを聞いてくれて。あなたもオアシスに用が?」

 年の頃は子供達と然程変わらないであろう。小麦色の肌と赤褐色の髪、闇夜にも映える白のターバン、そして肩からかけた小さめのリュートが特徴的な少年セティ。

 彼は黄昏色の空を思わせる瞳を細め、セレナへ控えめな笑みを向けると「まあね」と返事をした。

「オイラも幼い頃からこの地で生活してるけど、あんたらみたいな珍客は初めてだよ。妖精族や竜人族の生き残り……それに言葉を話せる鳥だなんて。まるで神話の世界じゃないか」

「ラクダと一緒に旅をする男の子だって、おとぎ話みたいでステキだわ!」

 セレナの頭の上でピィチが楽しげに声を立てると、一人荷台に乗り身体を休めていたマリンが、細かな織りの施された幌の中から顔を覗かせた。

「ちょっとお、あたしを除け者にしないでよね。それにしてもセティ、あなたがこの砂漠の住人だって事はわかったけど、さっきのパオ民族がぼったくりってどう言うことなの?」

 彼女の不意の問い掛けに、少年は一瞬顔を曇らせた。

「ああ……お察しの通り、ラクダ引きは建前みたいなものさ。まあ、詳しい内容は後で話すとして、一先ず今夜は休憩場所でも探さないかい?そろそろこいつらも休ませたいんだ」

「え、ええ」

 優しくラクダを撫でるセティに突然話の節を折られたような気がしたマリンは、それ以上の言葉を呑み込んだ後、取り合えず話題を変えるべく辺りを見回した。

「ところで、さっきからこの荷物が動いてるんだけど、動物でも運んでるの?」

「ん?“そいつ”は……」

「あら!だったらそんな布被せてたらかわいそうよ!」

 セティが説明をする間も無く、小鳥の娘がマリンの指差す荷物へすっ飛んできて、覆っている布を口ばしでもって勢いよく払い除けた。

 その直後。

 マリンとピィチの砂漠一帯に響き渡るほどの絶叫が木霊し、セレナも、ガイルも、彼女達の方へ振り返ると同時に、驚きのあまり揃って目を見開いた。

「ついさっき牛車で砂漠に入ろうとしていたから止めたんだ。牛はラクダに比べて足腰が弱いからね。なんだ、知り合いかい?」

 淡々と説明するセティと目を白黒させる子供達。そう、布の下に潜んでいたのは——

「や、やあ。皆さんお元気そうで……へへ」

 いつかの小太りの行商人だった。

 

 

 セイル=フィードの夜は幻想的だ。無論、無限の砂漠も例外ではない。

 雲一つ無い、鮮やかなオリエンタルブルーに染まった丸い空。乾燥地帯であるが故に、今までに足を運んだどの場所よりも、散りばめられた星一つ一つの煌きが際立っており、そして様々な海の存在が裸眼でもはっきりと見て取れる程に、白銀の月は普段の何十倍も大きい。それは例えるなら、さながら夜空と言う名の宝石箱である。

 一行は少し進んだ所に小さな岩場を見つけ、そこを休憩場所に決めた。

 少年達は率先して寝床の準備に取り掛かり、小太りの商人──ゼロムは、セティに指示され荷台へ食料を取りに行く。途中、つまみ食いをしようとしていた所をお喋りな小鳥の娘に見付かり、マリンから年甲斐も無くきつく叱られた。

 セレナはそんな光景を眺めながら一人思っていた。いったい誰がこんなにも穏かな場所を、“死の砂漠”などと呼ぶようになったのだろう、と……

 

 無造作に配置された複数の岩々は、テントとラクダ車を風から防げる程度の高さが有り、焚き火の熱は逃げずに暖を保てる。万が一、何者かの襲撃を受けても岩を盾にすることもでき、まさに砂漠の夜を過すには打って付けの場所であった。

 夕飯はセレナ達がシエルで調達したものの残りと、セティの保存食で十分だ。

 固めのブレッドには瓶詰めされた塩漬けのオリーブや果物のジャムを添え、栄養豊富な豆類は、焚き火で温められていたコンソメのスープに加えられて冷え切った皆の身体を芯から癒す。中でも、噛み締めるほどに味が出る香りの良い燻製肉は絶品で、マリンはセティに作り方を聞いてみたり、ガイルに至っては食事が終わり片付けの間中も、もぐもぐと口に銜えながら作業を続けていた。

 半ば仕方がないと言った様子で身を置くゼロム以外は、セレナ達一行とセティが打ち解けあうのに時間は要らなかった。

 

 

 二張りのテントは、岩場を背にし焚き火を囲うようにして配置されている。

 セティが用意していた大きなテントは少女達が休む為のもので、小さい方は交代で見張りをする為の男性用である。

 腹ごしらえをし、本格的な砂漠の夜に備える一行。そこから少し離れた所で見張り役を務めていたセティは、細身のシャムシールを腰から抜くと、慣れた手付きで刃の手入れをし始めた。しかし、近付いてきた一つの影に気付くと、手にしていた得物を静かに鞘にしまった。

「ねえセティ」

 おずおずと話しかけて来たのはマリンだ。彼女はギラリと光る剣の行方を見送ると、ほっと一息吐いてから側に腰を下ろした。

「あなた、あたし達に隠してる事があるんじゃない?ここは別名“死の砂漠”よ。あなたが言うぼったくり共が横行しているような危険な場所で商売なんておかしいもの」

「……あんたは鋭いね、マリン」

 不意に真摯な眼差しを向けられたマリンは、ほんの少し頬を赤らめた。しかし——

「仲間を殺されたんだ」

「え?」

 セティの口から出た予想外の応えに、彼女の顔から一瞬にして血の気が引く。

「あいつらは他所からやって来て村を荒らしまわった挙句、ラクダや物資を奪い、生活の源でもあるオアシスを乗っ取ろうとした。あんたも知っているだろう?ここを抜けた場所には願いが叶う滝が有るって噂話を。やつらは砂漠を越える為なら手段を選ばない」

「な、なんて酷いの……」

「"化け物伝説"が実在したからこそ、この地は前よりも平和になったんだ。だから二度とあんな悲劇を繰り返さないように、稀に砂漠を訪れるお客さんをオイラが迎えに行くってわけさ。もしあいつらを雇っていたら本当に何されるかわからなかったよ。特に……あんたみたいな美人はね」

「——へっ?」

 セティの話を真摯に聞き入っていたマリンだったが、最後の最後で唐突に叩かれた軽口に、今度は頭から湯気が出るほど顔を赤らめた。

「あのねぇ!人が真面目に……!」

「まあまあ、辛気臭い話はお終いにして」

 そう言い残すと少年は、わめく少女を尻目に、ひょいと巨岩のてっぺんに駆け上がる。そして肩に下げていたリュートを手にすると、満点の星空を仰ぎ深呼吸をした。

「一曲どうだい?そうだな——」

 地上からそんな彼を見上げるマリン。

「今日は特別美しい夜だから、セイル=フィードの神々の詩でも奏でようか」

 

 柔らかな月明かりと煌く星々に抱かれた少年セティは、なぜだか言葉を失ってしまう程に神秘的に見えた。