第三十八話 得るもの、失うもの

 窮屈な鳥小屋の中で目を覚ましたピィチは、丸い目をパチクリさせながら辺りを見渡した。

 どこぞの家屋の一室であることには違いない。ロウソクの緋色の明かりだけでぼんやりと照らされた、こじんまりとした薄暗い部屋だ。

 窓らしきものが無いため、外の様子を知ることは難しい。真昼なのか夜中なのかもわからない。辛うじて聴こえてくるのは、微かな木々の騒めきのみである。

「アタシったら、どうしてこんな所にいるのかしら……そうだわ!あの子が……セレナはきっとあの山のどこかに居る。そんな気がして、飛んで行こうとしたのよ。でも途中で誰かに捕まっちゃって……」

 この小さな檻に閉じ込められてしまった。

 思い出して肩を落とすピィチ。しかし次の瞬間、ふとある考えが浮かんだ。

 ここがおキクの屋敷とは断定できないが、もしガイルとマリンが近くに居るのなら、大騒ぎでもすれば見つけてもらえるはず。

 そう思い立った彼女が、腹いっぱいに息を吸いこんだ——まさにその時。

 おキクが、配下の男を連れ部屋へ戻って来た。

 床に置かれた鳥小屋の中で、ピィチは急いで目を瞑り狸寝入りを決め込む。

(そうか、この場所はあのお婆さんの部屋だったのね……)

 黒装束が静かに戸を閉める。男は向かい合う形で徐に腰を下ろすと、長い沈黙を経てようやく口を開き始めた。

「計画は順調。ガイル、マリン共にお館様の目論見の通りに仕上がっております」

「ふふ、そうじゃろう」

 おキクは満足そうに、茶の注がれた湯呑を口へ運ぶ。

「しかしお館様。あれからチヨマルの姿が見えませぬが……もしや決まりを破って件の場所へ……」

「お前もお喋りだねえ」

 おキクに遮る様に釘を打たれた男は、慌てて口を噤む。彼女は、空になった湯呑に自ら茶を注ぐと、依然として変わらぬ表情のまま淡々と続けた。

「己の未来は己で決めるもんだ。ワシらがどうこう言う必要はない。あやつは自ら茨の道を選んだ。それだけのことじゃ。お前らはセレナが戻るまで小僧共を見張っていれば良いんだよ。絶対に里から出すんじゃないよ。わかったかい」

「……御意」

 黒装束は深く礼をすると、音も立てずに部屋から去って行く。

 二人の会話に聞き耳を立てていたピィチは、おキクの言葉に疑いが芽生えた。

(どういう意味?セレナの未来をかってに決めようとしてるクセに、なにをいってるの?このお婆さん……)

 しかし、ここで声を上げてしまったら、次こそ唐揚げにでもされてしまうかもしれない。お喋りな小鳥の娘はぐっと言葉を呑んで、そのまま空寝を続けることにした。

 一人部屋に残ったおキクは僅かに嘆息を漏らすと、飲みかけの湯呑を静かに机に戻す。その瞬間、ピィチは心なしか先程までの彼女とは様子が一変したような、そんな気がした。

「……お前には申し訳ないが、試させてもらうよ。あの娘の力とやらを。故にこれしきの試練は乗り越えてもらわねばならん。無事に再会できることを願うんだね。お前もそう思うじゃろう?ピィチよ」

 おキクの独り言に注意を傾けていたピィチは、突然名を呼ばれて心臓が飛び出しそうになった。

 恐る恐る視線を向ける。彼女はやはり茶を啜りながら、何事も無かったかのように涼しげな顔をしていた。

 全て見抜かれていたのだ——

(このお婆さん、やっぱりタダモノじゃないわ……!)

 シノビ達の目を掻い潜って抜け出すことは到底不可能。もとからピィチには、大人しくセレナの帰りを待つと言う選択肢以外残されていなかったのだ。 

 

 

 

 花嫁修業とは、こんなにも残酷な試練なのだろうか。

 セレナは、必死に許しを請う相手を前に、何も出来ずに立ち尽くしていた。

 ほら穴で不気味な夜を越し、満足に疲れもとれぬまま目覚めと同時に出発。途中、幾度も森に潜む魔獣や妖魔に出くわし、自らの保身の為にそれらを倒しながら進む。

 今まで当たり前だと思っていたその行為に、ふと疑問を抱き始めたのは、両腕に刃を備えたこのイタチ型の魔獣と遭遇してからであった。

 コダマの森に来てから、言葉が通じる相手と出会ったのは二度目。しかし、このイタチの魔獣は昨晩対峙した蛇女とは違い、非力な小動物を思わせる容姿をしている。

 リースの森で暮らす、あの子たちを——

「命ダケハ助ケテクレェ……オラニハ家族ガ居ルンダヨ~……」

「…………」

 私を見て怯えている。

 少女は、とてもではないが、その頼みを聞いて止めを刺すことなど出来なかった。

「殺サナイデクレヨ~」

 言葉が伝わるのなら、きっと分かり合える筈。居ても立ってもいられずに、思わずセレナは背後に居るキスケの方へ振り返った。

 だが彼女が背を向けた次の瞬間、魔獣の刃が妖しい光を放った。

「キスケさ――」

 彼の名を呼ぶよりも速く、セレナの真横を風が駆け抜けていった。そして、風の行方へ視線を向けるよりも先に、けたたましい叫声が一帯に響き渡る。

 一瞬の出来事だった。

 エメラルドの瞳に、鉄爪に腹を貫かれもがき苦しみながら、徐々に黒の霧となりつつある魔獣の姿が映る。

 剥き出しになった眼が、震える小さな身体が、少女の脳裏に焼き付く。

「身勝手デ愚カナ人間共メエェ……イツカオ前ラノ身ニ災イガ降リ掛カルダロウ……身ヲモッテ知ルガイイ!オ前ラノ行イガ不当ダト言ウ事ヲ……!!」

 魔獣は消滅寸前まで叫び続けると、僅かな間に空気に同化し空へ還ってゆく。

 呆然と動けずにいるセレナに目もくれず、その場を去ろうとするキスケ。

 セレナは、わななきが止まらずにいた。今まで抱いた事のない感情がふつふつと湧き上がる。彼へ対する、怒りと言う感情。

 しかし、それでも相手を咎められずにいるのは、セレナ自身、旅の途中で既に何匹もの魔獣を葬ってきたからだ。

 一体、何の為に魔獣は存在しているんだろう。ナンノタメニ——

「おい」

 キスケは、背を向けたまま立ち止まった。

「何を呆けている。先を急ぐぞ。それが嫌なら今すぐ山を去れ。腰抜けに用はない」

「……どうして」

 セレナは、俯いたままでキスケの言葉を遮った。

「どうして相手の死を目の前にして、そんなにも冷静でいられるんですか?相手が苦しんでいるのに、なぜ平気でいられるの……?なぜ言葉が通じるのに話し合おうとしないの……私にはよくわからないよ……」

「……やはり只のガキか」

 セレナの問いに、キスケは大きな溜息を吐いた。

「勘違いするな。俺は敵意の無い相手を無暗に殺傷する程暇ではない。それに貴様と俺は生き様が違う。誰もが己と同じ境遇だと思わない事だ。……なぜ話し合おうとしない、だと?理解の無い相手と戦場で呑気に語り合う莫迦など居ない。その間にも相手は貴様の首を狙っている。——その甘さが命取りになると知れ。己だけではなく仲間を巻き添えにしたくなければな」

 キスケの言葉に、セレナは思わず面を上げた。

 敵対する者への思いやりを捨てなければ、いつか仲間が犠牲になる。無論、相手も同じ考えであって、大切な仲間や家族を守るためには容易く相手を欺いたりもする。

 戦いとはそう言ったものなのだと——寡黙な彼の、厳しくも明確な言葉に諭されたような気がした。

 誰もが同じ生き方をしている訳ではない。誰もが同じ考え方ではない。だからこそ、私は私なりに真実こたえを見付けなくてはいけないんだ。

 この戦いの意味を。

「来ないのか。ならば」

「行きます……!!」

 苛立ちを見せていたキスケは、思いもよらぬ大声に遮られ、少女を見返した。

 沈黙が流れる。

 その沈黙は、再度にわたるキスケの溜め息によって破られた。

「ふん——貴様が野垂れ死んでも骨は拾わんからな」

「はい……っ!」

 キスケは、相変わらず愛層の無い口調で吐き捨てると、スタスタとその場を後にする。そんな彼に駆け足で付いてゆくセレナ。

 セレナの心境の変化をキスケが見抜いていたかは定かではない。しかし、彼の長年の相棒である鷹のミツルギは、彼の細やかな変化に密かに気が付いていた。

 

 

 コダマの森の最奥——

 そう呼ばれる場所に、セレナとキスケ、そしてミツルギが到達した頃には、あれから既にかなりの時間が経っていた。

 そこは、これまでの禍々しい雰囲気とは明らかに異なる幻想的な場所であり、それなりの規模を有する空間に、蛍にも似た無数の光玉がふわふわと飛び交っている。光玉から発せられる色とりどりの淡い明かりによって、周囲を見渡せるほどの視界が保てる状態にあった。

 高い場所でホール状に折り重なる枝木によって空は見えないが、森全体の色調が濃くなり始めたことが、夜の訪れが近いことを示していた。

 更に奥へと白の石畳が真っ直ぐに続いており、両脇には不思議な成りをした獣の石造が、一定の間隔をあけて配置されている。

 ふいに傍まで漂って来た光玉に、セレナの顔がほころぶ。彼女は、疲れも忘れて視界に広がる光景に魅了されていた。

「ぼんやりしていると付け込まれるぞ」

 この場所に馴染みつつある彼女に、キスケが注意を促した。

 彼曰く、この美しい光玉達ですらも、訪れた者の生気を吸い取る妖魔の一種だそうだ。それを聞いて、セレナは驚いて体を強張らせた。

 真っ直ぐに続く石畳の先、そこには、森の入り口で見た木製の祭壇と似通ったものが建てられていた。

 社<やしろ>と言うらしい。セレナに問われたキスケは、半ば呆れ気味に答えた。

「そこに札が置いてあるだろう」

 セレナは、社の中を恐る恐る覗いてみた。鏡やお米、意味こそ分からないが、その他にも様々な道具が飾られており、それらの手前に確かに札が一枚置かれていた。

「その札を持って里に帰れば終了だ」

 セレナは、一礼をして札を手に取ると、ようやく安堵の笑みを零した。

 やっとみんなの所に戻れるんだ。乗り越えたんだ。試練を——

 喜びを噛みしめながら、社を後にするセレナ。しかし彼女の笑顔は、キスケの只ならぬ表情を目の当たりにした瞬間にふっと消え失せた。

「き、キスケさん……?」

「まだ仕事が残っているようだな」

 そう呟いた彼の鋭い眼光の先に視線を移すセレナ。目を凝らしてみても薄暗い無の空間が広がっているだけで、唯一存在しているのは光玉の僅かな明かりのみである。

 疑問符を浮かべている少女の横で、キスケは右手の鉄爪のベルトを締め直す。同時に、空間を漂っていた光玉が徐々に数を減らしてゆく——

 そして、間も無くセレナは驚きのあまりに言葉を失った。

 彼の視線の先、広がる暗闇の中から音もなく現れたのは、紛れもなく屋敷で世話になったあの黒髪の青年であった。

「チヨマルさん!?どうしてここに……」

 絶句するセレナと対照的に、睨みを利かせるキスケ。そんな二人を前にして、チヨマルは顔色一つ変えずに徐に口を開いた。

「……いつから気付いておられた、キスケ殿」

「さあな」

 ビリビリと張り詰めた空気が一帯に漂い始める。沈黙と共に流れる重苦しく息苦しい空気に、二人の間に挟まれたセレナは、圧倒され身動きが取れずにいた。

 状況が掴めずあたふたしている少女を他所に、チヨマルは静かに続ける。

「まさか其方がこの様な場所で生きていたとは……流石は領主の血族、抜け目のない男でござるな。拙者がここへ訪れた理由は、その札を抹消し下らぬ策略を阻止すること。しかし、其方が生きていたと知って、むざむざと見過ごす訳には参らなくなった次第……あの日の報復を果たすべく、其方を——討つ」

「よく喋る男だな」

 あの日?報復?セレナには、チヨマルの言葉の意味が全く理解できずにいた。だが札を取られてしまったら、修業の意味がなくなってしまう。

 これだけは何としても守らなくては——

 セレナとキスケ、二人の目の前の闇が禍々しいオーラを放ちながら、渦を巻き凝縮してゆく。

 漆黒の中心で、見る見るうちに変貌してゆくチヨマルの姿。骨と骨がぶつかり合うぎこちない音が響き、苦悶の咆哮が木霊する。背には黒の羽根で覆われた翼が、鳥類の如く足先には鋭利な爪が、面おもてには大ぶりの嘴が皮膚を破り生え出る。

 蠢く闇が晴れた時、そこにはあの美しい青年の姿は無かった。

 絶句するセレナ、そしてキスケが見詰めるその先には、爛々たる金色の瞳で二人を見据える魔族の姿があった。