第九話 新しい出会い

 牛車に揺られ約半日──

 一行はその後何事も無く、無事に目的の場所である町へと辿り着いた。

 降り注ぐ日差しが、長方形の白壁の家々と、その奥に眺められる青く美しい海に反射し、眩しい程の輝きを放つ。

 ここ港町シエルは、水を司る神“インディゴ”が眠るとの伝承が残る海洋に面している。広い湾の崖を、段を成す様に削り整備された場所に造られ、先へ進む手段といえば殆どがなだらかな階段や坂道である。

 切り出された崖の最下層部分には、海原へと繋がる砂浜が広がっており、そこから今まさに沖に出ようとしている漁船、そして海面へと渡された桟橋に停まる数嫂の漁船が見て取れた。

 セイル=フィードでも指折りの漁業が盛んな町である他に、フリ-スウェアーに訪れる商人の話によると、近年では水神の存在を信じ崇める聖職者達や小さな寺院も増えてきており、それもこの町の名物となっているらしい。

 爽やかな潮風が、細い路地を縫うようにして町全体を駆け巡る。

 雲一つ無い青空に舞う、カモメやウミネコといった海鳥達が、波の音に合わせる様にして控えめに囀り、なんとも心地が良い。

 町の上層階から全体を見渡し、その情景に胸躍らせるガイル。

 初めて訪れる地の空気を大きく吸い込み、身体全体に取り込むと、昨夜の疲れが一気に吹き飛んで行ったようにも思えた。

「良い町で良かったなセレナ!ここは魚料理が絶品らしいぜ」

「うん……」

 一方でセレナはというと、そんな彼の横で静かに俯いている。

  無理も無い。今朝目を覚まし気が付いた時には、既に親友であるピィチの姿が無かったのだから。見知らぬ地で逸れてしまった彼女を案じ、セレナの心には不安ばかりが募っていた。

「なあ、もしかしたら先に町に着いてるかも知れないし、落ち込むのはまだ早いんじゃないか?」

 心情を察したガイルが、目を伏せている少女の肩を軽く叩いて続ける。

「それに山賊共は手ぶらで逃げて行ったはずだから、あいつ等に捕まったって事はまず無いだろうしな」

「うん……そうだよね。ありがとう、ガイル」

 励ましと共に向けられた日差しの様な笑顔に、セレナは幾分元気を取り戻した様子で微笑みを返した。

 二人が立っている町の入り口から最も離れた場所には、この町には不似合いの立派な寺院が設けられている。上層階の通路では、そこに出入りする若い僧達と何度かすれ違い、その度に二人には意味有りげな視線が向けられた。どうやら、どこの町へ行ってもエルフや竜人族は珍しい種族であるようだ。

 二人も後々向かおうと考えてはいたが、取りあえず宿を拠点にする為にと、比較的賑わいを見せている中心部へ歩みを進めた。

 町の中層階──

 そこは、先程まで居た場所とは全く違った雰囲気を醸し出していた。否、上層階の静粛な雰囲気が、この町と不似合いと取った方が自然なのかもしれない。

 広く長い石畳の通路には、飲食店、雑貨屋等のあらゆる店が立ち並んでおり、賑やかで活気溢れる漁場の人々が行き来している。通路の真ん中で立ち尽くしている子供達の横を、大きな魚籠を担いだ漁師がせわしなく通過して行き、それと同時に新鮮な磯の香りが漂ってきた。

 二つの異なる町を無理やり一つにした様な空気の違いに、セレナとガイルは状況を飲み込むのがやっとであった。

「これだけ店があれば宿もすぐ見つかるだろうし、ピィチを捜すのは荷物を置いた後でも遅くないだろ」

 その光景に見入っていたガイルが、しばらくして口を開いた。それに対してセレナはこくりと頷き、静かに首もとの水晶を握る。

「ピィチちゃん、無事で居てくれると良いな」

 どうやら、心配事がある際に行うその行動は癖であるらしく、察したガイルは彼女の頭を宥める様に優しくなでた。

「心配性だな、セレナは!まあ、日が落ちる前に早めに動き出すとするか」

 意見が合致した二人が、同時に足を踏み出そうとした──まさにその時だった。

「しつこいわね!!また蹴飛ばされに来たの!?」

  町全体を揺るがすかの如く甲高い怒声が、二人の歩みを妨げた。

「な、なんだあ!?」

 突如響き渡った耳を劈くような声音に、ガイルは周囲をきょろきょろと見渡す。

  足を止めたのは子供達だけではない。通路を利用している皆がその方へと目を向けていた。

「ちょっと放しなさいよ変態!それが聖職者のやることなの!?」

 徒事ではないと、二人も急いで騒動の方へ駆け出す。群がる人々の波を抜けると、通路沿いの料亭の入り口付近で、僧侶達と少女が揉み合っている様子であった。

「ガイル、助けてあげよう……!」

「ああ!」

 セレナの意見を受けて、ガイルが騒動の中心へと駆け出した。だが、彼が歩を進めてすぐに、乾いた音と共に一人の僧が弧を描いて宙を舞った。

「へ?」

 目を白黒させ、あんぐりとその光景を眺めるガイル、そしてセレナ。

 直後、声の主を取り囲んでいた僧達は、頬に真っ赤な手形を付け倒れている仲間を抱え足早に去って行った。同時に群がっていた人々もそそくさと場を後にし、セレナとガイルだけがぽつりと残された。

 彼らを追い払った声の主は──同い年くらいの少女であった。

 彼女は澄ました面持ちで両手を軽く払うと、呆然と立ち尽くしている二人に気付き目を向けた。深海を思わせる青い瞳。頭頂部で纏められた波打つ金糸の髪は陽光のごとくきらめきを放ち、大人びた顔立ちはとても美しい。しかし一見すると、とても気の強そうな人族の娘である。

「見世物じゃないわよ」

 不機嫌そうに大きな瞳を細めて、彼女は言い放った。

「なっ」

 助けようとした矢先に投げ掛けられた冷たい台詞に、ガイルは激しく眉を顰める。

「お前が絡まれてたから手を貸してやろうとしたんだろ!そんな言い草ねえだろ!」

 苛立ちを露わに迫る少年に対して、強気な面持ちの少女も負けじと反論する。

「手助けなんて要らないわ!女だからって甘く見ないでよね!」

「はん!あんな平手かましといてどこが女だよ!」

「なによ!!」

「なんだよ!」

 ぐう~~~。

 突如として巻き起こった口争を断ち切ったのは──

「……なに?今の音」

「セレナ、もしかしてお前……?」

「……ご、ごめんなさい……」

 その光景を眺めていたセレナの、腹の虫であった。

「あんたよく食べるわねえ」

 皿一杯に盛られた海鮮焼き飯を無我夢中で頬張るガイルを、テーブル越しから蒼い瞳の少女が半ば呆れた様子でじっと見詰める。

 セレナに関しては、同じ料理をほんの少し口にしただけだが十分だったらしく、隣で次の料理に手を伸ばそうとしているガイルを、彼女と共に驚きに満ちた様子で見守っていた。

先程の騒動の後、二人は平静さを取り戻した彼女の厚意によって、住家でもある料亭へと通されていた。

 “海の花亭”は、二階建ての造りになっており、一階部分は調理場と食事処で、二階部分が貸出もできる居住スペースになっているようだ。外観は一見白い石壁の箱だが内部は全てが木造りであり、まるで別の建物の様相であった。

 テーブルも、椅子も、天井の梁に取り付けられた空調設備シーリングファンも、一つ一つが手造りで温かみを感じさせる。部屋の隅には観葉植物が置かれており、戸の無い真四角の窓から流れ込む潮風によって、緑の葉をゆったりと揺らしていた。

 二人が通された時には、食事時ではないため客の姿も疎らであった。彼女の案内で適当な席に腰掛け、手料理を振舞われ、そして今に至るのである。

「ああ美味かった!」

 最後に一杯の氷水を飲み干し、ガイルはようやく食事を終えた。かなりの量の料理だったが、殆どが彼一人で完食したと言っても違いはなかった。

「最高だな、お前の料理!」

「そ、そう。なら良いけど」

 先程のやり取りなど嘘であったかのような真っ直ぐな笑みを向けられ、彼女は二人が気付かない程度ではあるが頬を染めた。

「あの、ありがとうございます。ええと……」

「マリンローゼ・ブラウよ。マリンって呼んで。あ、堅苦しいのは無しね!年だってそんなに離れてないみたいだし」

 そう言うと、蒼い瞳の少女──マリンは、セレナへ向け片目を瞑ってみせた。

「俺はガイル・フリート、こっちはセレナ。マリンか、この町にピッタリの名前だな。よろしく!」

「ええ、よろしくね。それにしても……」

 マリンの澄んだ瞳が、二人をまじまじと凝視する。

「エルフなんて始めてみたわあ!ほんと、華奢で可愛くてお人形みたいね。あんた……ガイルも変わった種族ねえ。二人ともどこから来たの?」

「ああ、色々有って旅をしてるんだ」

「旅?」

 テーブルに身を乗り出す彼女の胸元で、瞳と同じ色をした宝玉がきらりと輝く。

「まあ、話すと長くなるって言うか……今は急ぎの用もあるからな」

 ガイルは僅かに口篭り、隣に座るセレナに目を向ける。 ピィチの件もあり、会ったばかりの彼女に全てを話して良いものか迷いもあったからだ。

「ふうん、あんた達も大変ね」

 マリンは少なからず興味は有ったが、それを察し取り敢えずは流す様にして受け答えた。

「おおい、帰ったぞ」

 丁度会話が途切れたその時、入り口から掠れた男の声が響いた。

「お帰りなさい、お父さん!早かったじゃない」

 マリンは席を立ち、父と呼ぶその男を出迎える。

 手には太めの釣竿と数個の魚籠。薄汚れた胸まで覆おうつなぎ服からは塩の香りが漂い、漁帰りである事が一目で判断できる。彼は娘のマリンに道具やらを預けると、二人の座るテーブルへと目を向けた。

「おう、なんだ。珍しいお客さんだな」

「でしょう、旅の途中らしいわ」

 父親と調理場を行き来しながら、マリンはせっせと荷の片付けを始める。

 セレナとガイルが軽く会釈をすると、彼は二人の向かいの席に「よっこらせ」と腰掛けた。

「ウォーダンだ」

 そう言って彼──マリンの父、ウォーダンは手を差し伸べる。

 細身だが、海の男らしく陽に焼けた浅黒い肌。金茶の髪はボサボサだが、瞳は娘と同じく深い海の色である。

 彼は座るや否や小さな酒瓶をどこからとも無く取り出し、二人が見詰める前で口元へと運んだ。だが、ぎりぎりの所でマリンが背後から瓶を取り上げる。

「こら!お酒は控えてって言ってるでしょ」

「ああん?ちっとぐらい良いじゃねえか……」

「だーめ。身体に悪いんだから!」

 べっと舌を出し、酒を片付けに向かうマリン。

 そのやり取りは、まるで親と子の立場が逆転した様でもあり、親子と言うよりは夫婦の様にも見えた。

「ったく。あいつもさっさと寺院に嫁いで、少しは落ち着いてくれねえかなあ」

 娘の姿が見えない事を確認してから、ウォーダンはポツリと吐き捨てた。そのつぶやきを耳にし、先程の騒動を思い出す子供達。

「そういえば、あの僧侶達は……」

「ああ、お前らも“アレ”を見たのか。とんでもねえお転婆だろう?ま、あんなモンは日常茶飯事だぜ。特に最近は、な」

 ウォーダンは話の途中に、又もどこからとも無く取り出した葉巻に火をつける。

 だが、一通り片付けを済ませ戻ってきたマリンによって、それも取り上げられる。

「ちょっと!この子達の前で煙草なんて吸わないでちょうだい!それに、あたしはあんなインチキ臭い男の所に嫁ぐなんて、死んでもゴメンだわ」

 ウォーダンは不服そうな表情を浮かべると、タコの様に口先を尖らせてとうとう黙ってしまった。

「インチキ?」

 二人のやり取りを目で追っていたガイルが疑問を投げ掛ける。頬を膨らませる父の隣に腰掛け「ええ」と返すマリン。

「この町の寺院を取り仕切る大僧正。でも、金好き女好きって影では有名なの。それに金目の物や珍しい代物を、寄付されたお金で買い占めてるって噂もあるし……」

 続けて、先程まで黙り込んでいたウォーダンが口を挟む。

「どうやら海神の鎮魂祭で舞った時に相当気に入られちまったみたいでな。それ以来ああして部下の僧侶が頻繁に来るようになったって訳だ」

「ほんと迷惑な話だわ。それにあたしには──」

 マリンの話を聞き、ガイルの脳裏に忘れかけていた何かが蘇った。

 珍しいもの……エルフ、竜人族……言葉を喋る小鳥。

「まさか……!」

「ど、どうしたの?ガイル」

 話の途中にも拘らず、突然立ち上がったガイルに驚き、目を丸くするセレナ。

「セレナ、そろそろ出よう。ピィチの居場所がなんとなくだけど分かった気がする」

 ガイルは、彼女に席を立つように促し、ぽかんとしている親子の前で荷物袋の中をまさぐった。だが、どれだけ探っても目的の物が指に触れる事はない。

「あれ?」

「ガイル?」

 心配そうに見守るセレナ。

「う、うそだろ」

 そこで二人はようやく気が付く。大切な資金が全て失われている事に。