第二十一話 もう一人の自分

「マリンちゃん!?」

 項垂れていた彼女を呼び止める寸での所で突如繰り広げられた光景に、セレナは驚きのあまりその場に立ち止まった。

 呆然とするセレナと、崖の上から彼女らの様子を見届けていた二人——興奮気味に騒ぎ立てるエミリーの横で、端正な顔を引きつらせ絶句するライサ。

 再び訪れた静けさを断ち切るようにして口を開いたのは、岩壁にもたれぐったりとしているセティを、険しい面持ちで眺めていたマリンであった。

「……ごめんなさいセティ。本当はこんな事したくなかったけど、何を言ってもたぶん無駄だと思ったから殴ったわ。今、とても気分が悪いの。感情に任せて仲間を傷付けてしまったんですもの。でも……今のあんたはあたし達の知ってるセティじゃない。殻に篭って、たった一人で苦しみを背負おうとしているわ。手を取り合い、支え合うことも忘れて……あたしはね、自分の言葉に責任を持てないような人を仲間だとは思えない。もし、このままあんたが魔物を使って砂漠を……"あいつ"が愛する砂漠を汚すようなマネを続けるのなら、あたしはあの魔物達を倒してでも止めてみせる」

 

 マリンの澄み切った声音は、迷いを微塵も感じさせない程に清々しい。

 彼女は思い切り声を張り上げた後、踵を返し頭を垂れるセティに背を向けると、困惑するセレナへ向け小さく「行きましょう」と促した。

 静かに前を見据えたまま、砂塵の舞う方へと歩みを進めるマリン。しかし後方から響いたセレナの一言が、またしても気負い立った彼女の足を止めたのだった。

「マリンちゃん待って!セティさんの目が……」

 

 

「くッ——!!」

 鋭い金属音と共に、キングワームの巨大な鋏が、岩を背にし逃げ場を失ったガイルの剣を弾き飛ばした。

 迫り来るワーム達の群れに囲まれ、更には丸腰となってしまったガイルは、長い逃走劇の末とうとう抵抗を止めて強く目を瞑った。それは覚悟を決めたからではない。最後まで少女達を信じて、奇跡を待つ為に——

 

「……ん?」

 

 不気味なまでの静けさを感じ、少しの間の後、ガイルはゆっくりと瞼を上げた。

 突如、水を打ったようにしんと静まり返った戦場。そして彼の視界の先を、なぜか微動だにしないワーム達の巨体が遮っている。

「襲ってこないのか……?」

 エミリーの催眠魔法に掛からなかった、キングワームを含めた残り三体のワーム達は、その言葉の通り体勢を起こした状態のままでピクリとも動かない。今までの様子と明らかに違うと言うことは、疲れきった彼の目から見ても確かであった。

 しばらく呆然と眺めていたガイルだったが、突然目の前の砂地がゆっくりと窪み始めると同時に、有りっ丈の力を振り絞って岩上へ駆け上がった。

 汗が頬を伝う。もうこれ以上、走り回る力は残っていない……

 しかし、息を荒げ見入っていたガイルの思いとは裏腹に、もぬけの殻となったワーム達は、静かに渦の中心へとその巨大な体を沈めていったのである。

「…………」

 再び静寂が辺りを包み込む。舞い踊る砂塵は風の流れに乗って晴れてゆき、今まで攻防を繰り広げていた平地には、ガイルの荒い息遣いと複数の砂の渦だけが残った。

 やつらの気配は跡形もなく消えうせた。遂に、長く険しい防衛戦は幕を閉じたのだった——

 

「ガイルー!」

 

 岩壁の方向から駆け寄ってくるセレナに気付き、岩の上から飛び降りるガイル。

「おいおいセレナ、あんまり走ると傷口が開いちまうぞ!それにまだやつらが……」

「ううん、あの子達はきっともう大丈夫。やっと"鎮まった"みたいだから。私のケガも……それより、私はボロボロのガイルの方が心配だよ?早くかえろう。マリンちゃんとセティさんが待ってるよ」

 微笑むセレナに手を引かれるガイル。彼女の言葉を受け、緊張から解放された彼は、ようやっと心の底から安堵の笑みを浮かべた。

 

 

「覚えてない!?」

 岩場一帯にセレナ達三人の声が木霊した。

 子供達は、岩壁に背を預け座り込んだまま頭を抱えるセティに、一斉に詰め寄る。

「あ、ああ……セレナとマリンが走って行った所までははっきり覚えてるんだけど、それから突然目の前が暗転して……けれど、真っ暗な闇の中で皆の声だけは薄っすらと聴こえていたんだ。セレナの美しい歌もマリンの消え入りそうな声も……それなのに、何も応えられなかった。どうやらオイラはあんたらに酷い事をしてしまったようだね。本当にすまなかった……」

 互いの顔を見やる子供達。目を伏せ俯く彼に掛ける言葉を探っていたセレナとガイルだったが、そんな二人を他所に最初に口を開いたのは、彼の説得に当たっていたマリンであった。

「あのね、セティ。あんたが謝っても仕方がないでしょ?だってあたし達と戦っていたのは、ワームと——もう一人のセティであって、あんたじゃないんだから!」

「マリン……?」

 マリンの言葉に頭を上げるセティ。彼女はそのまま両膝を地面に付きセティと視線を合わせると、ゆっくりその手を握った。

「あたしだって、セティの気持ちを無視して飛び出して行ったわ。それに思い切り引っ叩いたりして、謝るのはこっちの方よ。なのに、そんなあたし達の声を、セティは受け入れようとしてくれていたのね……二度と目を覚まさないんじゃないかって心配だったんだから」

 僅かに瞳を潤ませるマリンの後ろで、セレナとガイルが小さく頷く。そして今度は、握られた手をセティがそっと握り返した。

「……顔を上げて。マリンの思いは、暗闇の中でも痛いくらいに響いてきたからわかるんだ。どんなに辛い事があっても、仲間を信じて強く生きるその思いが……だからオイラも、自分の言葉に責任を持たないといけない。これ以上キミに嫌われるのはゴメンだからさ」

「えっ……?」

 セティはゆっくりと立ち上がり、目を丸くするマリンに穏やかに微笑みかけた。

「それに、あんたらが守ってくれた約束を、オイラが破るわけにはいかないからね」

 

 

「ね~ライサ、どういうこと?どうしてあの男の子が目をさましたら、怪獣さんは帰っちゃったの?」

 崖の上から一部始終を見守っていた小さなプリンセス、エミリーと付人の氷使いライサ。幼いエミリーには、聊か理解し難い一件だったのだろう。彼女は唇を尖らせながら、未だ晴れない疑問をライサへと投げかけた。

「そうですね……」

 ライサはいつもの様に、幼い姫にも理解出来るような答えを纏めた後続けた。

「セレナさんが目覚めると同時にゴーレムが消滅したのと同じく、あのセティと言う少年の目覚めが、ワーム達を鎮める合図だったのでしょう。要するに、セティさんとワーム達は、意思によるなんらかの繋がりがあるのではと推測していますが……」

「しずめる?いしによるつながり??ライサ説明なが~い。エミリーなんだか眠くなってきちゃった!」

「(……あなたが聞いたんでしょうが……)」

 とは口が裂けても言えずに、ライサは大あくびをする少女へ向け「分かり難くて申し訳有りませんね」と一言だけ呟き、それ以上の言葉をのんだ。

 

 ——彼は、僅かな間に考えを巡らせていた。エミリーに話した内容だけでは、自分自身理解しかねる要素が拭いきれない事に。

(召喚獣は精霊の一種。仮にワーム達がそうであったなら、消滅せずに住処へ還ると言うのは妙……となると、やはりやつらはこの地に古から巣食う魔獣で相違ないでしょう。そのワーム達を率いる、砂漠の神と瓜二つの親ワーム、そしてそれを呼び起こす事の出来る少年。彼はいったい——)

 子供達に囲まれ、何やら語り合っているセティを遠目に見やるライサ。

(いえ……考えすぎでしょう。例えそうだとしても、私にとって深追いは無意味でしかない)

 岩壁の下から去ろうとしている一行を見詰めながら、彼は静かに杖を一振りした。すると、冷気と共に人の容をした掌程の氷の精霊が姿を現す。彼はその精霊に子供達のもとへ向かうよう指示すると、マントを翻し徐に戦場に背を向けた。

 

「さ、姫。帰りますよ。そろそろお勉強のお時間です」

「え~~!!」

 エミリーは眉を顰めながら、思い切り不満に満ちた声を上げた。

「お勉強なんていや~エミリー、もっとお散歩したい!」

「おや、それは残念ですねえ。皇子が『エミリーちゃんの大好きなモンブランを作って待ってるね♪』と仰っていたのですが……それでも姫はお戻りにならないと」

「えっ!おにーさまのモンブラン!?」

 途端にきらきらと瞳を輝かせるエミリー。ライサが小芝居を交えながら、もう一度「残念ですねえ」と付け加えると、エミリーは大きく頭を振って彼のマントを引っ張った。

「はやく帰りましょうライサ!も~なにもたもたしてるの!?エミリーのモンブランが誰かに食べられちゃうじゃないっ。はやくはやくー!」

「はいはい」

 必死に地団駄を踏む少女に表情を緩めながら、ライサは再びクリスタルの杖を振りかざした。

 

 

 マリンとセティの後方を歩いていたセレナとガイル。二人は、何処からともなく現れた氷の精霊に、簡単な治癒の魔法をかけられていた。

 精霊は用が済むと同時に、呆然とする二人の目の前から、細氷と成って姿を消す。二人には、その召喚主が誰なのかはっきりとわかっていた。先の戦闘で力となってくれた、幼き姫君と氷を操る青年——

 足を止め、振り返るセレナとガイルのすぐ側を、一陣の風が過ぎ去ってゆく。

 いつかきっと、また出会う事が出来るだろう……そんな予感を運ぶ、爽やかな風であった。

 

 

 

 セイル=フィードの中腹部へ抜けるルートへと再び戻った一行。

 巨大な奇岩の影になる場所に、セティのラクダ車と数頭のラクダ達が待機している。そして、それらと同じ岩影の中に、十人程の負傷したパオの男達が、俯き背中を丸めながら腰を下ろしていた。

「みんなーお帰りなさい!ちょっと、砂塗れじゃないのっ」

「ピィチちゃん、ただいま」

 少女達のやりとりを耳にし、一人の男がゆっくりと顔を上げる。帰還した子供達の存在に気付くと同時に、男達は一斉に身を強張らせ視線を逸らした。皆が皆、ほんの僅かな間でげっそりとやつれ、今の姿からは、砂漠を荒らし回っていたやからとは想像も出来ない程であった。

 ワームの襲撃で深手を負った男が、子供達の——セティの姿を見て震えている。

 そんな男達の様子に、僅かに目を伏せたセティだったが、マリンに背中を叩かれ後押しされた彼は、真っ直ぐにパオの男達のもとへと歩み寄った。

「…………」

 恐れ慄く視線を一挙に浴びながら、それでもセティは、前を見据えて静かに言葉を紡いだ。

「オアシスの皆の痛み、仲間達の痛みをあんたらに知らしめることが出来て、オイラは今物凄く清々してる……と言いたいところだけど、こんな形でしか伝えられないのは物凄く悔しい。あんたらが犯してきた罪は許されるものじゃないし、生涯許してはいけないと思ってる。けれど……どんなに悔しくても、辛くても、砂漠の民には罪を罰する力なんて無い。もしも——オイラが神だったら、お前らなんて今すぐにでもこの世界から消し去ってる。でも……オイラは神じゃない。何の力も持たないただの人間だ。罪を裁く事も、お前らを消す事も出来ない。けれど、言葉を交わす事は出来る。本当は、痛みを分かち合って、手を取り合って共に生きていこうとした。……でも……皆、すまない……やっぱり無理だ。オイラは、ただの人間だから——」

 セティの頬を大粒の涙が伝う。

「だから——お願いだ。目の前から消えてくれ……二度と姿を見せないでくれ……この砂漠から……」

「セティ……」

 

 見守る子供達の声は、突如吹き荒れた風の音に阻まれ、彼に届く事はなかった。