第四十四話 真実を求めて

「ふん……覚醒したって訳か。面白いぜ……」

「ぜ、全然面白くないわよばかっ!!あんなのとどう闘うって言うのよ!?」

 家一軒をゆうに超えるであろう巨大な相手を前にして、ぎゃあぎゃあ泣き喚くマリン。そんな彼女のすぐ隣で、ガイルは僅かにたじろぎながらも強気な笑みを浮かべてみせた。しかし、今の子供達に考えを纏めている暇などない。二人の後方から状況を見守っていたセレナの一声によって、止まっていた時が再び動き出す。

「避けて!ガイル、マリンちゃん!!」

「っ!!」

 少女が注意を促すと同時に、それまで二人が立っていた場所は、振り下ろされた魔獣の前腕によって大きく窪む。仕留め逃した獲物を追って、長い四肢を自在に操り執拗に猛攻を繰り出す異形の魔獣。

 荒々しい攻撃を避けながらも、ガイルはこの状況を危惧していた。周囲には未だ住民が避難している家々がある。これ以上派手に動き回ると被害が及んでしまう——

(なんとか注意を引き付けて、やつを村の外に出さねえと……)

 村の外周には墓地があり、更に向こう側が何もない平地になっていた筈。相手の注意を誘いつつそこまで誘き出すこと自体は左程難しくはない。幾ら巨大な相手とはいえど、無限の砂漠で戦ったワーム達と比べたら動きは緩慢であり、散り散りになっていた複数の相手をするよりは断然好都合であった。

「セレナ!もう一度、聖獣を召喚できるか!?フェニックスで良い!フェニックスの炎であいつを村の外に追い出すんだ!」

「わかった、やってみる!」

 ガイルの指示に従って、即座に瞼を閉じて呪文を唱え始めるセレナ。しかし直後、対峙する相手から僅かに目を逸らしていた彼へ向けて、マリンがか細い声を上げた。

「が……ガイル、う……うしろ……っ!!」

「え?」

 ふいに向き直したガイルは、視界の先に広がる光景に気付き愕然とした。なぜなら、おどろおどろしい異形の顔面が、すぐ目と鼻の先にまで迫っていたのだ。

 吐き気を誘う吐息が掛かり、流れる唾液が足元に染みをつくる。耳元までぱっくりと裂けた赤黒い口唇が、爛れた歯肉に並ぶ不揃いの牙が、大きく見開かれた真紅の瞳に鮮明に映り込む。

 動けずにいるマリンの後ろから、セレナが咄嗟に走り出す。

 立ち竦む少年の頭が、魔獣の咥内に徐々に呑まれてゆく——

 

 マニアワナイ…………!!

 

 刹那。駆けるセレナの真横を、目にも止まらぬ速さで何かが通り過ぎた。

 いつかの——蛇女との戦いで窮地を救ってくれた、風を切って戦場を舞う楚々たる姿は、確かにあのしなやかな鷹で間違いなかった。

(ミツルギさん!?)

 彼は大きく旋回し、スピードを保ったまま標的目掛けて飛空すると、その鋼の如く鋭い鉤爪を魔獣の頭部に勢いよく突きたてた。

『ギイィァアアァァーー!!』

 思わぬ襲撃を受け唸り声を上げながら後退る魔獣。そして間一髪のところで魔の手から逃れられた蒼白のガイルは、脱力した身体を駆け付けた少女達に支えられて、なんとかその場を退いた。

 突如現れた一羽の鷹が相手へ牽制を続ける間、しばし呆然とする子供達。そこへ、何処からともなく低音の声音が響いた。

「見ていられんな」

 矢張り、と顔を上げた三人の視線の先には、松明の明かりの影から音も無く姿を現した、あの時のシノビの青年が映り込んだ。

「キスケさん!どうしてこの場所に……!?」

「話は後だろう。違うか」

「あっ……」

 思いがけない助っ人の登場によってセレナの瞳に宿った光は、彼のぶっきらぼうな返答によって一瞬にして影を潜めた。

「ね、ねえ。アイツは不死身なのよ?倒してもキリがないんじゃらちが明かないわ。あんな姿になってまで生きようとするなんて、あいつらどこまで貪欲なの……本当にどうかしてるわ」

「ふん、貴様等には聴こえんのか」

 未だ放心状態のガイルを支えながら、怪訝そうな面持ちで眉を顰めるマリンへ向けて、キスケは淡々と続けた。

「奴の心の悲痛な叫びが……奴は——」

 

 

「お前さん方を巻き込みたくなかったんだ」

「えっ?」

 硝子越しに外の様子を眺めていたピィチとイヤン。窓のヘリに羽を下ろしたピィチは、そう消え入りそうな声で呟いた彼へ向けて、小さく首を傾げた。

「武器の扱いもろくに知らない俺達が、あんな化け物共をどうこう出来る訳がねえ。だから……何も知らずに村にやってきた旅人に、同じように持ち掛けた。だが結局は奴らの餌食になって、成す術も無く目の前で無残に死んでいった。……どうして旅人ってのはお前らみてえにお人好しなんだろうなァ。我が身を顧みずに、他人を救いたがる。もう、何人の骨を埋めてきたか忘れちまったぜ。ここの連中を縛っているのは罪悪感だ。もうこれ以上、苦しみの間で板挟みにされるのは御免なんだよ……」

「イヤンさん……?」

 今のピィチには、イヤンの言葉の意味をすべて理解することはできなかった。

 彼らが留まる室内は、再び得も言われぬ沈黙と共に静寂が支配する。生温く、重苦しい空気だけを残して——

 

 

「よし、ここなら十分だろ……」

 セレナのフェニックスを駆使して村の外まで魔獣の誘引に成功した一行は、ぎこちない四足歩行で近付いてくる相手を迎え撃つ為に体制を整えていた。僅かな間を見計らい空を仰ぐと、薄っすらと東方の空が明るくなってきているようにも思える。

 朝の訪れ、それまで耐えしのぐことが、一行の作戦であった。

 やつは、獲物である子供達の元へ到達するなり、地の底から湧き上がるような呻り声を上げながら、乱暴に手足を振り回して攻撃を繰り出す。それらをかわしながら、皆がキスケの意味深な言葉の内に秘められた真意を探っていた。

(不死の化け物が死にたがっている?空へ還ることを望んでいるのか……?)

 一瞬の隙を見せたガイルへ向け、容赦のない腕撃が轟音と共に振りかかる。

「おい小僧、呆けるな。また喰われたいのか」

 キスケの鉄爪が軌道を逸らし難を逃れたガイルは、我に返って面を上げると剣の柄を握り直した。朝になれば全てがわかるはず……彼の言葉が本当ならば。

 

 魔獣は、時が経つにつれて徐々に衰退している様子であった。

 淡い黄色と青緑色が層をなした黎明の空が広がり、遠く東の山嶺には温かな輝きを纏いながら朝日が顔を出し始め、夜の終わりを告げようとしている。

 セレナの合図を受けフェニックスは姿を消し、ガイル、マリン、そしてキスケですらも、長い防衛戦の幕を引くと、訪れた変化を息を呑み見詰めていた。

 徐々に色調を高める台地に腹ばいになりながら、悶え苦しむ異形の魔獣。しかし、その赤く爛れた継ぎ接ぎだらけの腕は、どれほど手を伸ばしても届くことのない空へ向けて、大きく掲げられていた。

 柔らかな朝日が村を、山々を、そこに居る全ての生命達を優しく包み込む。

 子供達は気付いていた。優しい温もりに抱かれながら、漆黒の涙を流す哀れな姿に——

 

 セレナは歌った。過酷な運命を背負った魂が、少しでも安らぐようにと。

 目を瞑り詩を紡ぐ少女の隣で、残された三人は目を見張った。音色が広がると同時に地表から現れた眩い粒子が、骸の形となって魔獣に寄り添っていたからだ。

 抗うことも無く、その腕に身を委ねる哀しき魔獣。子供達が見守る中、無数の骸に抱かれた魔獣の身体は静かに空へと昇ってゆく。

 曇りなき、清らかな空へと、優しきレクイエムとともに…………

 

 

 

 ***

 

 

 

「こんな村の為にえらい目に合わせちまったな……すまなかった」

 イヤンは、支度を終えた若き旅人達へ、申し訳なさそうに頭を下げた。

 帝都方面へ向かう出入口。相も変わらず、朽ちてボロボロになった木柵や、崩れた外壁の家屋が目立つが、この村へ訪れてから初めて満足に陽の光を浴びた子供達は、青空の様に爽やかな笑顔で差し伸べられた手を握った。

 住民達は思っていた通りの数ではあったが、それまで家に籠っていた小さな子供や腰の曲がった老人までもが、揃って見送りに出向いてくれた。

「これで、少しでも平穏な生活が戻ると良いですね。イヤンさん達の心のつかえが、いつか解消されるように私たちも祈ってます」

 別れ際、皆が互いに挨拶を交わす中で、ふいに掛けられたセレナの一言にイヤンは思わず目を丸くする。

 そしてふっと口元を緩ませると、一言だけ「すぐに叶うさ」と呟いたのだった。

 

 

 彼の言葉の意味を理解したのは、一行が村を出て間もなくのことである。談笑の中でふと、それまで来た道を振り返ったマリンが、突然ぴたりと足を止めたのだ。

 思わず向き直した子供達の瞳に飛び込んできたもの、それは無の空間。廃墟の村が存在していた場所には、何もない真っ新な台地が広がっていたのだ。

 途端に青褪めるマリンと、茫然とするガイル。そんな二人のすぐ隣で、セレナと肩の上のピィチは目配せをした。

 住民達を長い間縛っていた呪い。それが解消されたとき、地図から姿を消した小さな村は静かに役目を終えたのだった。

「やっと、苦しみから解き放たれたのね……新しい世界で、イヤンさんたちがずっと幸せに暮らせますように……」

 ピィチの呟きに、少女は微笑みながらこくりと頷いた。

 

 

 あの後キスケとミツルギは、礼を告げる暇もくれず知らぬ間に姿を晦ましていた。彼はなぜこの場所に居たのか。そして、なぜ相手の心の内を読むことが出来たのか。

 継ぎ接ぎだらけの痛ましい姿をした魔獣達、柔らかな光の中で、あの時見せた涙の理由。深まる謎を抱いたまま、三人の子供達と小鳥の娘は、足元に広がる岩場の先を真っ直ぐ見据えた。

 険しい雪山に囲まれた白銀の世界。青い海、砂漠地帯、霧の森、古の都——様々な出逢いを、そして苦難を乗り越え、子供達はようやくここまで辿り着いた。

 彼らの目指す場所は、既に目前にまで迫っている。

 

「行こう。北の大地へ……帝都グランデュールへ!」

 

 未踏の地への期待と不安を抱きながら、大きく前進する若き冒険者達。

 それぞれの求める真実が、この先で待っていると信じて。