第七話 北へ

 セレナとガイル、そしてピィチは、外門を潜る寸前の所で足を止め振り返った。

 声の主は、先程城を出る際に一行を見届けてくれたレダである。どうやらここまで子供達を追い駆けて来たようで、城の女中であるにも拘らず、美しい髪は振り乱れ、踝まであるスカートの裾は、土と砂埃で酷く汚れている。

 胸を押さえ、苦しげに息を切らしてはいるが、表情には安堵感からの笑顔がにじみ出ていた。

「やっと追い付きましたわ……!」

「おい、どうしたんだよレダ!汗だくじゃないか」

「も、申し訳ございません……」

 ガイルの差し出した手に、姿勢を正し謙虚な態度で自らの手を重ねるレダ。皆が集まる城でこそは、用件と簡潔な言葉のみで見送りを済ませていた彼女であったが——

 それだけでは足りる筈もなく、子供達が城を去ってすぐに後を追っていたのだ。

 

 セレナがきゅっと彼女の袖を掴み、顔色を窺う。心配そうに視線を向ける少女に、レダは変わらぬ穏やかな微笑を返した。  

そして少しの間の後、平静さを取り戻すと、セレナの手を握り返し静かに語った。

「セレナ様、わたくしにはどうしてもティファナ様が魔族だとは考え難いのです」

「え……?」

「あの方は誰に対しても優しく穏やかで、黒竜戦争で国を襲ったやからと同じ血が流れているとは、とても思えませんでしたわ」

 レダは続けた。

「そして全てを再生する不思議な力。ティファナ様は、まるで神話の中から現れた、女神の様な方でした……」

 セレナとガイルは、真剣な面持ちで彼女の話に聞き入っている。

「ガイル様、どうかセレナ様をお支えくださいませ。とても辛い旅となるでしょう。けれど、その先に必ずや真実は存在しますわ」

 空いたもう片方の手でガイルの手を取るレダ。

「ああ、勿論だ。ま、この間は逆に守られちまったけどな。使命だと思って成し遂げるよ。それに——」

 ガイルは、レダの小刻みに震える手を強く握り返して胸を張った。

「レダには心配ばかりかけてるしな、親孝行……じゃないけどさ、その“真実”ってのを持って帰る事で、お前の願いが叶えば良いと思ってる」

 続けてセレナが告げる。

「レダさん、心配しないで。きっと、お父さんとお母さんを救ってみせます」

「ガイル様……セレナ様……」

「その代わり俺がいない間の事は任せたぜ。レダなら俺なんかより上手くやっていけるんじゃないか」

 白い歯を覗かせ、冗談交じりの笑顔を浮かべる少年により、場には和やかな空気が生まれた。

 

「おう、水臭いぜガイル様!」

「なんだい、旅に出るなら先に言っておくれよ。何も用意してないじゃないか」

「!」

 気付くと、一行を取り巻くようにして大勢の民が輪を作っていた。そこには人族、そして獣族やドワーフ等の妖精族といった様々な顔が並んでいる。

「がいるさま、かえってきたらたくさんあそんでね」

 幼い子供に続き、城門を守る警備兵が力強く自らの胸を叩く。

「魔物達は我々にお任せください。たとえ強靭な魔族であっても、あなたの愛する国を守るべく立ち向かって見せましょうぞ」

「お前ら……おう、頼んだぜ!」

 ガイルは彼等と握手をした後、周囲の民と挨拶を交わしているセレナとピィチに出発を促した。

 堪えきれぬ涙をそっと指先で拭うレダ。けれど、不安は微塵も無かった。この子供達なら必ずや願いを実現してくれると、彼女はそう信じていたから。

「いってらっしゃいませ……どうか、ご無事で……」

 

 一行の姿が見えなくなる頃、柔らかく清らかな風が、城下町一帯を駆け巡った。

 風の奏でる音色は、とても心地の良いものへと変わっていた——

 

 

 

 フリースウェアーを出てから次の目的地へ向かうまでの間も、セレナとガイル、そしてピィチの会話は途絶える事が無かった。

 木陰の下で休憩を取る際には、レダ特製のハムとレタスが挟まれたバゲットをガイルとピィチが取り合い、セレナの歌で仲直りし、再び賑やかなお喋りに花が咲き……そんなやり取りが何度か続いた。

 

 ガイルは自ら、町を襲った魔族が兄であり、火竜族と魔族の混血である事を少女達へ告げた。もちろん、ロアから始めて事実を明かされた時には、信じる事ができずにいたらしい。

 ふいに投げ掛けた一言によって垣間見えた、ロアの切なげな表情を見るまでは。

 セレナは疑問だった。なぜ彼は、唯一の兄弟であるガイルの命を狙うのだろう。詳しい事はガイルにも分からなかった。確かなのは、竜人族に対して恐ろしいまでの憎しみを抱いているという事。

 そして兄はフリ-スウェアーではなく、竜人族の自分を狙っているのだろうと。

「ティファナに会えば……兄貴を救えるかも知れないんだ」

 セレナはガイルの言葉に、小さく静かに頷いた。

 

 

 太陽が丁度真上へ昇る頃。一行は目的の地、リースの森の入り口に辿り着いた。

「セレナ、俺は外で待ってた方が良いか?」

「ううん、一緒に来て。お友達をみんなにも紹介したいの」

 ピィチを先頭に、二人は奥へと歩みを進める。

 ガイルも再三訪れている場所ではあるが、巡回は浅い場所までと決められており、彼女達程詳しい訳ではなく、すぐ後について進まなければ迷ってしまいそうである。

 

 美しく穏やかな、神秘の森。

 鮮やかな緑色をした木々の間からは、淡く優しい光が漏れ、足元の小さな草花に付いた朝露に反射し、きらきらと輝いている。

 小鳥の囀りは心地良く、澄み切った空気は体の疲れを全て取り除いてくれた。

 神樹リースの守護する神聖なる場所……夜になると現れる魔獣の存在など嘘のようである。

 奴等が姿を現し始めたのも、魔族の仕業なのだろうか——

「ガイル、着いたよ」

 手を引くセレナが足を止めると同時に、ガイルはハッと我に返る。

 ほぼ獣道と言っても過言ではない様な木々の間を通り抜け、辿り着いた先には、目を見張る程の光景が広がっていた。

 

 そこには広い空間が出来ており、どこからとも無く流れ着いた小川が小さな泉を作っている。泉には空の色と木漏れ日が反射し、さながら蒼の宝石を全体へ散りばめた様な煌きを放つ。

 地面一帯に隙間無く敷き詰められたヒカリゴケは、城で目にした最高級の絨毯よりも美しく、足を踏み入れても良いものかと迷う程であった。

 そして、視線を上げると——

「これが……神樹リースなのか……」

 悠々と、それでいて厳かにたたずむ一本の大木が、光射す庭の中央にそそり立っていた。

 一株の木を抱き、包むようにして、無数の木々が重なり合い作り出された大樹。

 空へ向け伸びる葉脈にも似た無数の枝々は、大きく広がり天窓を備えた屋根を思わせ、その窓から射し込む木漏れ日は、光芒の如く降り注ぎ台地を照らす。

 鹿や兎といった小動物、小鳥達が、舞い上がる光の粒子の中で戯れ、歌を奏で——そこはまさに、この世のものとは思えない程の美しさであった。

 

 立ち止まり呆然とその光景に魅入っているガイルと、怡然とした様子のセレナ。

 周囲を囲むように小さな群れを成す動物達へ一通り挨拶を済ませた後、セレナはガイルの腕を引いて広間の中央へと歩みを進めた。

「ただいま、お母さん!」

 彼女にとって、神樹リースは育ての母の様な存在でもあった。

 リースは愛しき娘、セレナの澄んだ声音をその大きな身体全体で受け止めると、葉を優しく揺らし喜んでいるようにも見えた。

 幹の根元にそっと寄りそうセレナ。少女を優しく、温かく受け入れる大樹。

 ガイルは少し離れた場所から、その様子を眺め……自らの両親の温もりを思い返していた。

「お母さん、私ね……この森を出て行こうと思うの」

 小さくつぶやくセレナの髪を、風が揺らす。

 ざわめく周囲の木々。けれど、彼女の言葉を受けても、リースだけは悠然としたままであった。

 まるでセレナが打ち明ける以前から、全てを知っていたかのように。

 

(…………)

 

「お母さん?」

 セレナの心に、直接響き渡る声。

 

(お前にも時が来たようだね……愛しいセレナ)

 

 静かに耳を澄ませ、目を閉じ、リースの声のみに心を預けるセレナ。

 ガイルはその言葉こそ聞き取れなかったものの、森の変化には気が付いていた。

 

(エリオン・シルフィーン、そしてティファナ……それがお前の本当の両親だ。そしてお前は二人を追って長い旅に出る。赤ん坊の頃からずうっと見守ってきたんだ……もう一人の親であるこの私が知らないとでも思ったのかい?)

 セレナは動揺に目を伏せ、疑問を投げかける。

「どうしてずっと話してくれなかったの。二人の事を……」

 少しの間の後、再びリースが囁く。

(セレナが決意を固めるその日まで。それがあの若造との約束だったんだ。隠しているのは辛かったが……話したところで小さなお前では何もできなかろう)

「お父さん……」

 

(セレナ…………)

 

 リースの囁きが、次第に掠れてゆく。

 

(北へ行け……エリオンからの伝言だ……北の……に……)

 

 そして——その言葉を最後に、リースの声はふと途切れた。

 

「お母さん?」

 セレナが言葉を失ったリースを見上げ、名を呼ぶ。そこには周囲の緑と完全に同化した大樹が、静かに根を下ろしていた。同時に、森のざわめきは止み、足元を照らしていた無数の光の粒も地面へと消えてゆく。

「セレナ、大丈夫か?」

 幹の根元で立ち竦むセレナの元へ、ガイルが駆け寄る。

「うん……お母さんと話してたの」

「リース様はなんて仰ってたの?」

 ピィチの問いの後、少しの間を置いてセレナが答える。

「"北へ行け"って」

「北?」

「でも、そこで声が聞こえなくなって……きっと魔力をたくさん使ったせいで、疲れて眠っちゃったんだと思う」

「そうか……」

 ガイルは、粛然と根を下ろす育ての母へ向け最後の挨拶を送る少女を、何も言わずに見守っていた。

 

 

 森を出ると、既に日が傾きかけていた。

 大きく伸びをした後、外の空気を身体一杯に取り込み、一番に声を上げたのはガイルである。

「北かあ。グランデュール辺りに何かありそうだな。世界中の術者が集まる場所らしいし。聞くところによれば、色んな魔法書も有るらしいぜ!俺は読めないけど」

「ガイルも行った事がない所なんだ」

 目を丸くしてセレナが伺う。

「そんな所なんて、この世界には山ほどあるぞ。リース様にだってさっき初めて会ったんだし……まあ、旅なんてそんなもんだろ」

 そうなの?と少女達は同時に視線を合わせる。

「不安もあるけどさ、運命とか言われると、なんかわくわくするよな……って、こんな事セレナの前で言ったらまずかったか」

 ガイルの言葉に、セレナはふるふると首を横に振った。なぜなら彼女も、そういった感情が少なからず芽生えている事に気付いていたから。

「しっかし」

 ガイルが薄暗い平地を見渡した後、荷物から取り出した地図を広げ、眉を顰めた。

「次の町までかなりの距離があるんだよなあ……早くて徒歩で三日か。素直に馬車でも借りてくればよかったぜ。感動的なお別れの後で気まずいけど、ここからなら一旦国に帰るのもアリかもな……」

 彼が言う次の町とは、リースから北西に位置する漁業が盛んな港町、シエルの事である。

「私は野宿でも良いよ。慣れてるから」

 セレナの意外な発言にぎょっとするガイル。

(もしかして、こいつって俺より野生児なんじゃ……)

 ガイルは思わず顔をひきつらせた。

 

「おーい、そこにいらっしゃるのはガイル様じゃないかい!」

 そんな最中、ふいにフリースウェアーから続く一本道の方向から、森の入り口で佇む少年の名を呼ぶ声が響いた。目を向けると、二頭の立派な雄牛がひく大きな荷車、そして小太りの男の姿があった。

「足が無いなら乗っていきますかい」

 くいっと親指を立て後ろの荷台を示す商人に、子供達は瞳を輝かせた。フリースウェアーから出発した商人は、大抵シエルへと荷を運ぶからである。

「運が良いぜ」

 ガイルは言うなりセレナの手を引いて、嬉嬉と牛車の方へと駆けて行く。後に、この商人との出会が大変な騒ぎに繋がるとも知らずに。