家々の明かりはとうに消え、深く暗い、星の無い夜の帳が落ちた城下町を、数戸の商店と街灯、城内からこぼれる灯りだけがぼんやりと照らしていた。
レダが話し始めてから、ずいぶんと時間が経っていたらしい。子供達は時が経つのも忘れ、壮絶な〝昔話〟に聞き入っていたのである。
静かな空白の後、セレナがようやく重い口を開いた。
「エリオンに、ティファナ……」
俯きつぶやく少女に続いて、ガイルがレダへ問う。
「そのエルフの女って……二人の子供って、まさか──」
彼女はそれに対して、控えめにコクリと頷いた。
「そちら」
レダは見覚えのある、セレナの首元と両耳に光る水晶を指差した。とても小さな輝きではあるが、それは彼女にとって大きな意味を成していた。
「わたくしがエリオン様と姫様に、お守りにと差し上げたものに間違いありませんわ。あなた様のお召し物を変える際に、側で見て確信致しました」
セレナはきゅっと、首元の水晶を握り締めた。
物心付いた時には手元にあって、片時も手放す事のなかった、たからもの。何か深く、大切な意味を持つものだと、幼心にそう感じてはいたが──
「そう、だったんですか……」
魔族と国王の娘、黄泉の宴、黒竜戦争。
セレナにとってレダの話は壮大すぎて、全てを聞き終えた後でもにわかに信じ難かった。 隣に座る少年は、助けた相手が魔族の娘と知ってどう思うのだろうか。
セレナはちらりとガイルを横目に見ると、笑顔が印象深い彼に似合わぬ真剣な面持ちで、前を見据えてじっとしている。胡坐をかいた膝の上には強く握られた拳が置かれており、何か意思の様なものも感じられた。
「リースの森は、この世界で最も安全だと謳われていた場所。エリオン様は神樹リースにあなた様を託して、危険な旅へと向かわれたのでしょう。そして……」
レダは続けた。
「ガイル様には以前お話致しましたが、その日、あなた方は既に出逢っているのです」
「えッ!?」
二人は声を揃えて、目を丸くする。
「俺はエリオンに助けられたとしか聞いてなかったぞ」
怪訝そうに眉を顰め問うガイルへ、レダは「ええ」と返す。
「彼が国を出て間もなく、流浪の商人が城へやって来て……」
『小さな女の子を抱いたエリオン様に、城へ送って行ってほしいと頼まれたんだよ。この子供を自分の代理として育ててやってほしい、ってさ。しかし……エリオン様は一体どこに向かうつもりだい?』
商人が荷車から降ろしたのは、塩香のする砂で汚れた紅眼の男児だった──。
「西の海岸近くで彼に会ったようで、森へ向かう前にあなた様を預けたようですわね」
「そ、そうなのか……しっかし、全く見ず知らずの子供を代理にってのもなあ」
「ガイル様に何かを見出されていたからでしょう。現に、こうして国に暮らす様々な種族は、仲睦まじく団結し合い、平和に暮らしているではありませんか」
ガイルは「そ、そうか?」と照れながら、ぽりぽり頬を掻いた。
「エリオン様は、国を去る直前にわたくしへこう仰いました。『遅かれ早かれ、娘はこの国へ戻って来る。その日が〝運命の日〟になるだろう』と」
「運命の日……」
二人は瞳を輝かせ声を揃えた。俄かに湧きたつ子供達の隣で、レダは小刻みに震える唇をきゅっと噛み締める。
(エリオン様……これで良かったのでしょうか)
全てを話す事で未来がどう変わってゆくのかも、王が無事に戻ってくるのかさえも、今の彼女には何一つとして分かるはずもなかった。
ただ──大切な何かが再び欠けてしまう気がして、それ以上言葉を紡ぐことが出来ないのだった。
「俺がもう少し早くセレナを迎えに行ってやってればな」
「でも、森のみんなは大切な家族だし、早かったらきっと断っていたかもしれないよ」
「あ、そうなんだ……」
彼女の返事に納得しつつも、少しだけ項垂れるガイル。そこにピィチがピイピイと茶々を入れ、再び場の空気は賑やかな子供達によって緩む。
(え、ええと)
その光景を眺めていたレダは、自らの心配は無用なものにも思えてきた。だが──
間もなくして、和やかな空気は張り詰めたものへと豹変する。
「……!?」
「んっ?どうしたセレナ」
それまで隣でにこやかな笑みを浮かべていたセレナの表情が一変し、エメラルドの瞳が一段と大きく見開かれた。
それはガイルの問い掛けとほぼ同時であった。城下町の一角から、城にまで届くほどの爆発音が響いたのだ。部屋に隣接するテラスからも、少し身を乗り出せば状況は容易に確認できた。
炎の色は禍々しい黒色──魔族のみが扱える、漆黒の業火である。
ガイルは黒煙の立ち昇る方向を確認するや否や、チッと舌を打った。
「アイツ……!お前らはここにいろ!絶対に外に出るなよッ!」
「ガイル!?」
そう女性達へ言い残すと、彼は疾風の如く勢いで部屋を飛び出していった。
突然の出来事にしばし呆然とするセレナとピィチ。その僅かな間を絶ったのは、お喋り好きな小鳥の娘であった。
「ちょっとレダ!この国はガイルのおかげで平和になったんじゃなかったの!?」
問い詰められたレダは目を伏せ静かに返す。
「ええ……ですが、先程お話ししました通り、黒竜戦争後もなお魔族による襲撃は続いているのです。確かに彼の働きにより民衆は活力を取り戻し、脅威へ立ち向かう者も増え、以前にくらべその数は激減しました。ただ──」
「ただ?」
セレナが、険しい表情を浮かべるレダへと不安げに聞き返す。
「稀に訪れるあの者を除いては……」
黒炎に包まれ崩れ落ちる家屋、灰と化し風と共に空へ舞う草花。
大通りから続く白の石畳は煤けて見る影もなく、至る所から立ち昇る煙によって、焦げた臭いが鼻をつく。
そこはまさに地獄絵図さながらであったが、ガイルにはそれは少なからず想像し得る光景であった。なぜかと言うと、以前も再三同じ急襲が起きたからだ。
そして、その中心には必ず、嘲笑を浮かべる〝ヤツ〟がいる──。
「遅かったなァ。ガイル」
「また来たのかよ……何度来たって答えは同じだぞ!」
周囲に人気が無い事を確認すると、少年は再び鋭い眼光で相手を睨み返した。
膝まである砂色の髪に、背には大きな蝙蝠型の翼。右頬を這うようにつたう黒の文様──そして、自分と同じ真紅の瞳。
対する長身の男は、意気込む少年を嘲るように余裕に満ちた笑みを浮かべると、右の手から生み出した黒炎を何の躊躇いもなく民家へ放り投げた。
「やめろーーッ!!」
必死の叫びも空しく家屋は瞬時に灰と化す。
幸い住人は避難を済ませていた後だった。ガイルはそれを察すると安堵の息を漏らし、男はそんな少年を鼻で笑う。
惑う心を抑えつつすぐさま体制を整えるガイル。しかし彼は、剣の柄を握る手が酷く汗ばんでいる事に気付いていた。残忍で非道なその魔族は、自分にとって何よりも嫌な相手だからだ。なぜなら──
「いつまでこんなこと続けるんだよ……兄貴!」
兄、そう呼ばれた男は、漆黒の翼を広げ身構えるガイルに強引に近付くと、光の無い血色のまなこを見開き、吐き捨てるように囁いた。
「お前が魔族と手を組んで竜人族を滅ぼすか、死んで滅びるか選ぶまでだ」
「どっちも……選ぶかよッ!」
声を張り上げると同時に、構えたショートソードで至近距離からの斬撃を放つ。
出しえる限りのスピードで振り払った筈の剣であったが、男はそれすらもあっさりとかわし、翼を広げると先程までいた場所へと舞い戻った。
遊ばれている……頬を伝う冷や汗、乱れる呼吸。実力も力も、全てにおいて自分よりも上だとガイルは確信していた。
「冷てえなぁ。またあの頃みたいに呼んでくれよ。ロア兄ちゃんってな」
ロア──そう、この冷酷な男こそ、黒竜戦争で崩壊した竜人族の数少ない生き残りでもあり、ガイルの義理の兄本人であった。
再び場に響き渡る皮肉めいた嘲笑。相対する兄の口から紡がれる淡く懐かしい記憶に、ガイルの頭には一気に地が上った。
「竜人族だろうと魔族だろうと関係ねえよ。魔族が好きなら魔族でいればいいさ。でもこれだけは言える。俺は竜人族のまま生きて、昔の兄貴の心を取り戻す!」
「黙れ」
ロアの表情から笑みが消えた。刹那、常人ならば足が竦んでしまう程の憎悪に満ちた空気が、一気に周囲を満たしてゆく。
「笑わせるんじゃねえ。蔑まれ、拒絶された挙句、世界の果てへと追いやられた……」
右の手から再び黒炎が生み出される。
「甘やかされて生きてきたテメエに、俺の何が分かるって言うんだよ!!」
赤黒く焼け爛れ、痛々しく変形したその手から。
「やめろ……もうやめろって!兄貴──」
「ガイルーーっ!」
突如、背後から響き渡った澄んだ声音が、緊迫した空気の流れを変えた。
「なっ──セレナ!?来るなって言っただろ!」
「ごめんなさい、でもガイルが心配だったから……」
息を切らしながら、煤けた石畳の上に立ち竦む声の主は、紛れも無く今城に避難していなければならぬ筈のセレナであった。
彼女は口元を手で覆い、周囲の無残な光景にたじろいだ。
思いもよらぬ現状に慌てるガイル。そして、少女の登場にあからさまに不快な表情を浮かべる、魔族の男ロア。
セレナは怯える小動物の様な瞳で彼を一見すると、小さく身をすくめた。
「なんだァ?おいガキ、邪魔するなら八つ裂きにすンぞ」
ロアが不快感を露にした恐ろしい目つきで脅しつけると、血に餓えた肉食獣から小さな野ウサギを守るように、剣を構えたガイルが二人の間に立ちはだかる。
だが剣を持つその腕を、小刻みに震える手が弱弱しく掴み制した。
「セレナ……どうした?」
ガイルへ向け小さくかぶりを振った後、再びロアへと目を向けるセレナ。
そして、その場にいる誰しもが予想もしない一言を口にするのだった。
「魔族さん、あの……少しだけお話しできませんか?」
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