第四十一話 さよならは風と共に

 粛々とした空気の漂う室内に残ったのは、子供達とおキク、そして少し離れたところで立膝をつき目を伏せているキスケのみである。

 庭園の池の方から"カコン"と軽快な音が響くと同時に口火を切ったのは、香りのよい茶の注がれた湯呑をようやく膝の上に下したおキクだった。

 

 彼女は先ず、花嫁修業の本来の目的と、セレナをコダマの森へ向かわせた意味を、神妙な面持ちで着座する子供達へ教える。

 森への修業は言うなればこの地に古から伝わる伝統のようなものであり、本来は、無事に帰還を成し遂げる自負を持つ者のみが立ち入りを許されている場所である。

 それを聞いて、思わずマリンは身を乗り出して疑問をぶつけた。"花嫁修業"とは何だったのかと。

 おキクの真意は当初、出発前に子供達へ告げた通りで間違いなかった。魔力の高い子を後世に残すべく、この里で暮らすに相応しい娘であるかどうかを試すのが目的であり、厳しい修行を経て無事帰還を成し遂げたセレナが、考えを改め屋敷に残ることを選ぶのであれば受け入れる意向だったらしい。

 しかし——"彼"を失った今では、彼女の策謀も徒労に終わったのであった。

「……とまあ、そう言う訳じゃ。あ奴にはしてやられたわい。ま、それもこのわしには想定の範囲内じゃったがなぁ。お前等を無理に引き留める意味もなくなった。好きにするが良いさ」

「ホントは最初からそのつもりだったくせに……」

 セレナの肩の上でぽつりと呟くピィチを、おキクは何も言わずに横目で見やった。

 

「おい」

 

 ふいに、僅かに訪れた静けさの中に、低音の声音が響いた。

 声の主は、おキクの説明の間沈黙を守り続けていたキスケである。彼は、一斉に注がれた視線に露とも動じるそぶりを見せずに、鋭い刃のごとく眼光を老婆へ向けた。

「そいつらがどうなろうと俺には関係ない。だが、貴様に一つ訊きたいことが有る。あの男が七年前の仇である俺の存在を知って黙って見過ごす訳がなかろう。それを知りながら、何故貴様は奴に居場所を教えた」

「おや、少し見ない内にお喋りになったもんだねえ」

 殺気を孕んだ眼光を物ともせずに、おキクはカカと笑声を上げた。

「お前達の心の強さを見極める為じゃよ」

「心の強さ……だと……?」

 その言葉を聞いたキスケの表情が一段と険しくなり、空になった湯呑にのんびりと茶を注ぐおキクを捉えて離さない。

「里で暮らしている以上、いつかは明かさねばならぬ日が来る。それがこの機であったと言うだけのこと。チヨマルはお前らに負けたんじゃない。己の心の弱さ——怨嗟の情に負けたのじゃ。そして、お前も全く成長しておらんかった。技や力だけが強さではない。お前が森で暮らしていた理由は、奴を討つ為だけではなかろう。……殺さずとも、幾らでも奴を救う術は有ったはずじゃ」

「貴様に何がわかる。俺の苦悩が……!」

 水を打ったような静寂の空間にビリビリと漂う緊張感。息が詰まるほどの空気の中で、居ても立ってもいられずに間に割って入ってきたのは、マリンだった。

 彼女は一度コホンと咳ばらいをし。

「ま、まあ内輪話はその辺にしてもらって!セレナがお父さんの言いつけを守って残りたいのなら話は別だけど、用が済んだのならそろそろ帰してくれない?あたし達、次の黄泉の宴が始まるまでには帝都に行きたいの」

「セレナ……どうなんだよ」

 彼女に続いて、今度はガイルがセレナへ向き直す。

 二人の間に腰を下ろすセレナは、皆の注目を浴びて思わず視線を落とした。

「私は……」

 その瞬間、ふとある言葉が脳裏を過り、彼女は面を上げた。

 

 ——本当は、仲間と共に旅を続けたい。その一心ではありませぬか?

 

 おぼろ月が輝くひそやかな夜。澄み渡った異国の空気。水の流れる音だけが微かに響く庭園で、あの日交わした言葉。心に蔓延る不安を拭ってくれた穏やかな微笑み。

 そして、嘘偽りのない、思いやりの心……

 彼のように、仲間を想うのならば答えは一つ。今の少女に迷いはなかった。

「私は皆と行きます。それが私自身の本当の気持ち、今の“私にできること”だから。……真実を知りたいんです。この旅の先に在る真実、そして戦いの意味を。待っているだけじゃ、今までと何も変わらないから……」

「この先、此れまで以上に過酷な旅になるやも知れぬぞ。それでも行くのじゃな?」

「はい——!」

 おキクの問いに、セレナは前を見据えて答えだす。

 彼女の一声は、都に流れる澄んだ空気の様に、汚れのない清らかなものであった。

 

 

 

「お館殿。良いのですか?あの娘を野放しにしてしまって」

 屋敷の表門を後にする一行を見送る、おキクと配下のシノビ達。

 可愛らしい刺繍の施されたハンカチを咥え、ガイルの名前を連呼しながら号泣する筋骨隆々のクノイチ(男)の隣で、一人のシノビが呟いた。

「幾らキスケ殿が付いていたとは言え、あのようなうら若き娘が、魑魅魍魎の巣窟であるコダマの森の試練を成し遂げるとは……我等シノビであれ到底考えられませぬ。あの者達の旅、何やら危険な匂いがしてなりませぬぞ」

「ほう、お主は中々抜け目のない男だの」

 おキクは子供達の姿が見えなくなると、表門に背を向けた。

「言うたじゃろう。他人の未来に他人が口を挟む資格などない。良かれ悪しかれ、自らが選んだ道。未来は自らの手で築くものじゃ。例えそれが、命を脅かすものになろうとも——」

 ふいに、空を仰いだおキクの目に、一羽の黒鳥が映り込む。

 おキクは、その艶やかな羽色を持つ黒鳥を刮目し息を呑んだ。なぜなら、同じ黒色の髪をしたあの青年を、不思議と思い起こさせたからだ。

 風にのり自由に舞うその姿を、視界から消え去るまでしばらく目で追うと、彼女はふっと、頬を緩ませた。

「ま、何はともあれ信じていようじゃないか。いつかわしらの願いが果たされることを……な」

 

 

 

 屋敷を後にした子供達は、旅の支度を整える為に都の店々を巡っていた。

 セレナが森へ向かっている間、屋敷で働いていた二人にはそれなりの賃金が分け与えられており、それぞれの持つ荷物袋の中は、いつの間にか薬草や水薬ポーション、そしてこの地特有の保存食で満たされていた。

 一行は、いつかの団子屋で購入したものと同じ三色の団子を頬張り、都の外門へ向け小川の流れる堀沿いを歩みながら、久方ぶりのお喋りに花を咲かせていた。

 一日三食、シノビ達の料理当番を担ったマリンの話に、罠だらけの倉庫整理を任されたガイルの話。マリンに例のクノイチとのやり取りを明かされた際には、顔を真っ赤にして慌てふためくガイルの隣で、いつもと変わらない控えめな笑みを浮かべるセレナの姿があった。

 会話の途中、館に残った二人から居場所を問われ軽く受け応えたピィチは、皆の知らない老婆の——おキクの言動は胸に留めておくことにした。ふいに見せた、彼女らしからぬ寂し気なオーラも……

 

「さて、予定外の寄り道になっちまったな。グランデュールまでは、何事も無ければ俺たちの足でも数日で着くはずなんだが」

 都の外門の下、田畑の広がる雄大な盆地を前に地図を眺めながら、ガイルが隣のセレナに目配せをした。

「セレナ、お前本当に休まなくて平気なのか?相当……厳しい修行だったんだろ。なんなら、ここでもう一泊していっても構わないんだぜ」

 彼の言葉を受け、セレナはかぶりを振った。

「有難うガイル。私は大丈夫だよ。疲れも全然残ってないし。みんなを待たせてしまった分、今やらなければいけないことを精一杯やりたいの。それに……急がないと、黄泉の宴がやってくるかもしれない。私は、その方が心配」

「そ、そうだけどさ……」

 一点を見据え淡々と話すセレナに、ガイルは無意識に言葉を詰まらせた。少女の横顔が、数日会わないうちに僅かに大人びたように感じられたからだ。

「まあ、何かあったら今まで通り協力して乗り越えれば良いのよ!あたし達の絆は、そう簡単に壊されたりはしないんだから。さ、準備万端!目指すはライサさ……ごほん、帝都グランデュールよっ!」

 ガイルの思惑など露知らず、意気揚々と片腕を掲げるマリンに、ピィチはやれやれと溜息を吐いた。

 

 別れ際におキクに教えられた通り、行きとは違って帰りは一本道だった。畑道を真っ直ぐ進み、ようやく田園地帯を越え振り返ると、それまで身を置いていたシノビの里は不思議なことにすっかり姿を消していた。

 淡緑色の穂を、平地を翔ける風が揺らし、佇む一行のもとへ清々しい香りを運んでくる。この謎に満ちた異郷の里で、それぞれの心に生まれた想いを胸に、若き旅人達はまた一歩、目的の地へ向け足を踏み出した。

 さよならの言葉を風にのせて——

 

 

 

「……くだらん」

 その呟きは、木々のざわめきに掻き消され空間に溶けていった。

 コダマの森入口の鳥居に背を預け嘆息を漏らしたのは、子供達の旅立ちに出向くことなく姿を晦ましたキスケであった。

 彼は、右目を覆う黒の眼帯を抑えながら、一人思索に耽っていた。

 右目を蝕む呪い……七年前、確かにキスケは都に奇襲を仕掛けてきた黒翼の魔族チヨマルから術を受け、自らの意思で里から離れた森での生活を選んだのだ。この魔獣や妖魔が巣食う薄闇の森で、因縁を果たすべく日が来ることを待ち望みながら。

 しかし、術者の死こそ解呪の法だと認識していた彼にとって、高祖母であるおキクに告げられた言葉は、奇しくも意に反するものであった。

「奴の思念を晴らさねば解けぬ呪いだと?死して尚抗うか、チヨマル……」

 宿命の日から既に二日。一向に訪れない体の変化に、キスケはおキクの言葉を受け入れざるを得なかった。

 

「魔族との共存——か……」

 

 一際高い木の枝で羽を休めていたミツルギは、子供達の目的の場所である北方へ鋭い視線を送っていた。

 眼下に広がる雲海を越えた更に遠方。険しい雪山の麓に位置する、あらゆる術師が集うとされる魔法の国。

 静かに佇むミツルギの琥珀色の瞳に映し出された世界は、主であり、長年連れ添ってきた相棒でもあるキスケの向かうべき場所を示しているのだった。