第三十一話 古の都へ

 鳥たちの会話が、すぐ近くに聞こえる。

 全身を暖かく柔らかな感触が覆い、それは旅の疲れを癒してくれる、とても心地の良いものであった。

 

 ——静けさの中で、ふと目を覚ましたセレナ。

 彼女は徐に上半身を起こすと、少しの間ぼんやりと周囲を見渡して、自身の置かれている状況を呑み込もうとしていた。

 こげ茶色の板張りの部屋に、床に直に敷かれた質の良い一揃いの蒲団。枕元には、丁寧に折畳まれた細やかな花が描かれた着り物と、紙製の筒の中央にロウソクの炎が揺らめくランプと似通った物が置いてある。それ以外には何もない閑散とした空間であり、一人で使用するには勿体ないとも思えるくらいの広々とした部屋である。

 膝辺りまで伸びた長い髪は一つに結われ、服も普段着ていたものから、肌触りの滑らかな、ゆったりとした白の寝衣に変わっている。

 察するに、どうやら何者かの手によって、この場所に眠らされていたようだ。

 小鳥たちは、硝子の代わりに木の格子が備えられた小さな窓辺で、寄り添い、語らい合っていた。その僅かな隙間から差し込む光が、床に縦縞の模様を描いている。

 朝の訪れを教えてくれる、優しい光である——

 

「私……どうなっちゃったんだろう……」

 

 ここへ来るまでに何があったのか、おぼろげな記憶を辿ってみるが、どれだけ深く記憶の底を探っても、あの夜——散歩からテントへ戻る途中、真っ白な煙に覆われてからの出来事を思い起こすことは出来なかった。

 ただ一つ覚えているのは、ピィチと共に連れ去られたということ。

「そうだ……ピィチちゃん!」

 ふいに、ハッと顔を上げるセレナ。

 ここが何処かもわからない。けれど、もしも近くに彼女も捕らえられているとしたなら、森の民同士の意思疎通が図れるかもしれない。

 セレナは、思い立ったように静かに瞼を閉じた。自身の心の声を送る為に、ピィチの心に届くようにと——

 しかしそんな彼女の行動は、突如音もなく部屋の隅に現れた、見知らぬ存在によって遮られてしまった。

「だ、誰!?」

 影の如く全身を纏う、飾り気のない黒衣。そして、頭部を覆う黒の頭巾からは目元だけが露出しており、ギラリと閃く鋭い視線が、小刻みに震えるセレナを遠目に捉える。異様な気配を漂わせるその男——は、床に片膝を付き腰を落とすと、静かに用件だけを述べたのだった。

「姫、頭領がお呼びです。身なりを整え、付いて参られよ」

 

 

 

「大丈夫かしらあのコ……」

 ガイルとマリンの頭上を旋回しながら、ピィチが不安げな声色で呟いた。

 谷の両岸を繋ぐ吊り橋は、それなりに頑丈な造りながらも予想を上回る長さであり、平然と渡るガイルの隣で、マリンは真っ青になりながら、やっとの思いで歩を進めていた。

 手すり部分は、ロープの代わりに蔓を何重にも巻かれたものが用いられており、歩くたびに鈍い音を立ててきしむ橋板は丸太を繋げたもので、僅かな隙間から遥か遠くに谷底が垣間見える。見晴らしの良い渓谷にそって目をやると、雪化粧を施した北方の山々が一望できる絶好の場所であったが、それは海辺で暮らしてきたマリンにとっては、地獄絵図でしかなかった。

「黒服の集団か……山賊ではないにしても、なら何の目的でお前らを攫ったんだ?」

 進むたびに揺れる足場を踏みしめながら、ガイルはふと沸いた疑問をピィチに投げ掛けた。

「うーん……たぶんだけど、目的はセレナだけだったんじゃないかしら」

「どういう意味だ?」

 彼女の返答に、訝しげな表情を浮かべるガイル。

「アタシは朝まで抜け出す機会を探っていたけど、とくに酷いことをされたワケでもなかったし……見張りはすごく厳しかったのよ。みんな似たような黒い服を着て、背中には長い剣を背負って。目元だけがギラついていて本当にブキミだったわぁ。それでも、この姿だからかもしれないけれど、意外とあっさり逃げて来られたんだもの。もう少し、あのこを探し回ってみればよかったワ……」

「いいや、お前がセレナを見つけたところでどうこう出来る訳じゃないだろ。早めに伝えに来てくれて正解だったよ。それに、仲間が居ようが居まいが、取り敢えずセレナだけを攫えれば良かったってことだろ?俺達が助けに行くことを見越しているなら、相当腕に自信が有る奴らなんだろうな」

 堰を切ったようにスラスラと言葉を連ねるピィチの横で、ガイルは顎に手を当てて考えをまとめた。

「にしても、熟睡してたとはいえ、竜人族の俺ですら物音にも気配にも全く気が付かなかったんだよな……しかも女の子だろうと、魔力の戻ったセレナをそんな短時間で連れ去れるなんて……」

 あまりにも大胆かつ巧妙なやり口だと、彼は感じていた。まるで、自分たちがこの場所へやって来るのを、前々から予測でもされていたかのような——

 しかし奴らが何者であっても、一度でも守ると誓ったセレナを、今度こそ危険な目に合わせる訳にはいかない。ガイルは、腕利きの集団との戦闘も視野に入れて、改めて前を見据えた。

 

 

 谷の東側は、緑の生い茂る小高い山々に囲まれた盆地であり、高台となっている橋のたもとから、その全貌を見渡すことができた。

 若葉色の大地に敷き詰められた、規則正しい四角形に区切られた畑は、さながら繊細なパッチワークを思わせ、合間には中規模の針葉樹林が点在している。更に遠方へ目を向けると、一段と高い崖の上に、薄っすらと低い雲を纏った広大な森が広がっている。

 とても美しく観光にはもってこいの場所ではあるが、一行は物見遊山に来たのではない。少しの間、視界に飛び込んできた景観に呆然としていた子供達であったが、我に返ったマリンの問いが皆を現実へと導いた。

「え、えーと。ところでピィチ?どこにセレナが捕らえられている住処があるのかしら?」

 彼女が疑問を抱くのも無理はない。盆地をくまなく見渡しても、青々とした畑と林ばかりで、それらしい建物など一切見当たらないのである。

「ど、どうして?おかしいわよ……!アタシたちが連れ去られたのは絶対に橋のこっち側だったし、それに、帰り際にヤツらのアジトの位置だってちゃんと覚えたんだから!でも……どうしてその場所に"何もないの"?」

 ピィチのただならぬ焦り具合から、ガイルとマリンは彼女の言葉が嘘ではないと確信した。

 けれど、どう足掻いても無いものは無い。これと言った打開策も浮かばず、依然として眼下に広がる盆地を眺めながら途方に暮れる子供達。誰が意見を述べる訳でもなく、静寂だけが辺りを支配する。

 そんな静けさの中で、ある変化にいち早く気が付いたのはガイルであった。

「……なあ、何か聞こえないか?」

「え?べつに聞こえないけど。なによアンタ、疲れが溜まりすぎて幻聴でも聞いたんじゃないの?」

「おいマリン、少しは俺を信用しろっての……ほら、あの茂みの向こうだよ」

 聴覚が人一倍優れている竜人族のガイルにのみ聞こえる謎の音。

 一行は意を決して、彼が指さす茂みの方へと駆け出した。そこへ近付くにつれ、少女達にもだんだんとその"声"が認識できるようになってゆく。

 そして、深い草叢の中に現れた声の主は——

「タカ……?」

 ガイルの肩の上で、ピィチが豆粒の様な目をパチクリさせた。彼女の言う通り、そこには息を荒らげ苦しそうに鳴き声を上げる一羽の鷹が、小さく蹲っている。

「どうしてこんな所に」

「見て!翼のところ、怪我してるみたいね。他の野鳥にでもやられたのかしら。可愛そうに……これじゃあ飛べない訳だわ」

 構えていた剣を徐に鞘に納めるガイルの横で、マリンは道具袋から包帯を取り出し、傷付いた体をそっと抱き上げた。

 怪我さえなければ、とても凛々しく美しい体貌であろう。手負いの鷹は、マリンの腕の中で抗いもせずに、静かに手当てを受けていた。

「…………」

 

 一目惚れだった。

 

「どうしたんだよピィチ?」

 明らかに様子のおかしい小鳥の娘に気付き、ガイルは「なるほど」と、小さく溜息を吐く。呆れ顔のガイルを他所に、しおらしく言葉を噤んだ彼女の瞳には、幾つものハートマークが浮かんでいた。

 そんな最中、慣れた手付きで早々と処置を済ませたマリンが、ぼんやりとひたすら鷹だけを見詰め続けているピィチへ問い掛けた。

「ねえ、もしかしたらこの子、奴らの居場所を知ってるんじゃない?ピィチ、あんた一応鳥なんだから話くらいはできるでしょ?ちょっと聞いてみてよ」

「え゛っ!?あ、ああ、あた、アタシがっ!?」

「お前どんだけウブなんだよ……」

 突然名を呼ばれ、真っ赤になってあたふたと狼狽えるピィチへ、ガイルが冷ややかな眼差しを向けた。

 彼の視線も露知らず、ピィチは深呼吸をして気持ちを落ち着かせた後、芝に佇む凛とした鷹へと、森の民や鳥同士にしか理解不能な言葉で話し掛ける。もちろん、ガイルとマリンには単なる囀りにしか聞こえない。

 彼——は、しばらくピィチの問に静かに耳を傾けていたが、ふいに手当てを受けた翼を持ち上げ、空へと舞い上がった。

「こ、こっちよ二人とも!付いて来いだって」

 頬をピンク色に染めたままのピィチが、彼の言葉を訳し二人へと伝える。

「あのお方が言うには、あそこへは“決められた行き方”があるらしいの」

「決められた行き方……?」

 思わず顔を見合わせるガイルとマリン。

 一行は、大空を雄大に舞う鷹を見失わないようにしながら、急いで高台を下って、眼下に広がる田園地帯へと向かった。

 

 

 

 なんて大きなおやしきだろう——

 黒装束の男に導かれ、長い外廊下を歩みながら、セレナは思った。

 連なる十字の木枠に白紙をはめ込んだ横開きの戸のようなものが、部屋と廊下を隔てており、解放されたその戸から差し込む自然の光のみが、薄暗い室内をやんわりと照らしている。白塗りの壁に、黒の塗装が施された古木の柱。床板は若葉色の草を編み込んで作られたもので、勇気を振り絞って男に訊ねてみると、戸の名前は『ショウジ』で、床板は『タタミ』だと端的に教えてくれた。

 煌びやかな装飾や家具などは一切無いが、それゆえに心落ち着かせる厳かな空気が静々と漂っていた。無駄だと感じるものを一つだけ挙げるとすれば、人気が無いにも拘らず、一部屋一部屋が広すぎるという所くらいである。

 表に目を向けると、高い塀の内側には広々とした緑の庭園が設けられている。鮮やかな紅白の魚たちが悠々と泳ぎまわる苔色の池泉。その周囲を多種多様な木々が彩っており、中には、赤や黄に色付いた、リースの森には生息していない種も所々に見受けられた。

 どれもこれも、セレナにとって見たことのない珍しいものばかりで、まるで別世界にでも迷い込んでしまったかのような不思議な感覚に陥る。

(そういえば、ガイルがフリースウェアーに初めて連れて行ってくれたあの夜も、こんな気持になったっけ……)

 しかし今は、頼れる“友達”はそばに居ない。セレナはそう思った途端に、離れ離れになっている仲間達がひどく恋しくなって、静かに目を伏せた。

 

「此方です。無礼の無い様に」

 ふいに名を呼ばれ顔を上げたセレナは、一対の“ショウジ”の前に来ていた。

 両脇には案内役と全く同じ装いをした二人の男が佇み、物々しい雰囲気を漂わせている。そのショウジだけは、他とは違って白紙の面に繊細な花の文様が描かれており、今から通される部屋が特別な場所であることを自ずと認知させた。

 不安気な表情のセレナには目もくれず、両脇の男達は、固く閉ざされていた戸を徐々に開いてゆく。

「…………」

 そして、大きく見開かれたエメラルドの瞳に飛び込んできたものは——

 

「おお、やっと来たかい。セレナ・シルフィーン。エリオン・シルフィーンの娘よ」

 

 広い部屋の奥部にたった一人で着座している、小さな白髪の老婆であった。