第五話 運命の日

 家々の明かりはとうに消え、深く暗い、星の無い夜の帳が落ちた城下町を、数戸の商店と街灯、城内からこぼれる灯りだけがぼんやりと照らしていた。

 レダが話し始めてから、ずいぶんと時間が経っていたらしい。子供達は時の経つのも忘れ、壮絶な“昔話”に聞き入っていたのである。

 

 静かな空白の後、セレナがようやく重い口を開いた。

「エリオンに、ティファナ……」

 俯きつぶやく少女に続いてガイルがレダへ問う。

「そのエルフの女って……二人の子供って、まさか——」

 彼女はそれに対し、控えめにコクリと頷いた。

「そちら」

 レダは見覚えのある、セレナの首と両耳に光る水晶を指差した。とても小さな輝きではあるが、それは彼女にとって大きな意味を成していた。

「わたくしがエリオン様と姫であるセレナ様に、お守りにと差し上げたものに間違いありませんわ。あなた様のお召し物を変える際に、側で見て確信致しました」

 セレナはきゅっと、首元の水晶を握り締めた。

 物心付いた時には既に手元にあり、片時も手放す事のなかった、たからもの。何か深く、大切な意味を持つものだと、幼心にそう感じてはいたが——

「そう、だったんですか……」

 魔族と国王の娘、黄泉の宴、黒竜戦争。

 セレナにとってレダの話は壮大すぎて、全てを聞き終えた後でもにわかに信じ難かった。 隣に座る少年は、助けた相手が魔族の娘と知ってどう思うのだろうか。

  セレナはちらりとガイルを横目に見ると、笑みが印象深い彼に似合わぬ真剣な面持ちで、前を見据えてじっとしている。胡坐をかいた膝の上には強く握られた拳が置かれており、何か意思の様なものも感じられた。

「リースの森は、この世界で最も安全だと謳われていた場所。エリオン様は神樹リースにあなた様を託して、危険な旅へと向かわれたのでしょう。そして……」

 レダは続けた。

「ガイル様には以前にお話致しましたが、その日……あなた方は、既に出逢っているのです」

「え!?」

二人は声を揃えて、目を丸くする。

「俺はエリオンに助けられたとしか聞いてなかったぞ」

 怪訝そうに眉を顰め問うガイルへ、レダは「ええ」と返す。

「彼が国を出て間もなく、流浪の商人が城へやって来て……」

 

『赤ん坊を抱いたエリオン様に、城へ連れて行ってほしいと頼まれたんだよ。この子供を自分の代理として育ててやってほしい、ってさ。しかし……王は一体どこに向かうつもりだい?』

 商人が荷車から降ろしたのは、塩香のする白砂で汚れた紅眼の幼児だった。

 

「海岸近くで彼に会ったようで、森へ向かう前にあなた様を預けたようですわね」

「そ、そうなのか……しっかし、全く見ず知らずの子供を代理にってのもなあ」

「ガイル様に何かを見出されていたからでしょう。現に、こうして国に暮らす様々な種族は、仲睦まじく団結し合い、平和に暮らしているではありませんか」

 ガイルは「そ、そうか?」と照れながら、ぽりぽり頬を掻いた。

「エリオン様は、国を去る直前にわたくしへこう仰いました。『遅かれ早かれ、娘はこの国へ戻って来る。その日が"運命の日"になるだろう』と」

 

「運命の日……」

 

 二人は目を輝かせ、声を揃えた。

 レダは、子供達に気付かれぬよう、小刻みに震える唇をきゅっと噛み締めた。

(エリオン様……これで良かったのでしょうか)

 全てを話す事で未来がどう変わってゆくのかも、信頼する王が無事に戻ってくるのかさえも、何一つとして彼女には分かるはずもない。

 ただ、大切な何かが再び欠けてしまう気がして、それ以上の言葉が出なかった。

 

「俺がもう少し早くセレナを迎えに行ってやってればな」

「でも、森のみんなは大切な私の家族だし、早かったらきっと断っていたかもしれないよ」

「あ、そうなんだ……」

 彼女の返事に納得しつつも、少しだけ項垂れるガイル。そこにピィチがピイピイと茶々を入れ、再び場の空気は賑やかな子供達によって緩む。

(え、ええと)

 その光景を眺めていたレダは、自らの心配は無用なものにも思えてきた。だが——

 間もなくして、それまでの和やかな空気は張り詰めたものへと豹変する。

 

「……!!」

「どうしたセレナ?」

 今まで隣でにこやかな笑顔を浮かべていたセレナの表情が一変し、エメラルドの瞳が一段と大きく見開かれた。

 それはガイルの問い掛けと、ほぼ同時であった。城下町の一角から、城にまで届くほどの爆発音が響いたのだ。部屋に隣接するテラスからも、少し身を乗り出せば状況は容易に確認できた。

 炎の色は、禍々しい黒色。魔族のみが扱える、漆黒の業火である——

「あいつ……ッ!!」

 ガイルは黒煙の立ち昇る方向を確認するや否や、チッと舌を打つ。

「お前らはここにいろ!絶対に外に出るなよ!!」

「ガイル!?」

 そう女性達へ言い残すと、彼は疾風の如く勢いで部屋を飛び出していった。

 

 突然の出来事に、しばし呆然とするセレナとピィチ。その僅かな間を絶ったのは、お喋り好きな小鳥の娘の方であった。

「ちょっとレダ!この国はガイルのおかげで平和になったんじゃなかったの!?」

 問い詰められたレダは目を伏せ静かに返す。

「ええ……ですが、先程お話ししました通り、戦争後もなお魔族による襲撃は続いているのです。確かに彼の働きにより民衆は活力を取り戻し、脅威へ立ち向かう者も増え、以前にくらべ数は激減しました。ただ——」

「ただ?」

 セレナが、険しい表情を浮かべるレダへと不安げに聞き返す。

「稀に訪れる"あの者"を除いては……」

 

 

 黒炎が包む家々、灰と化し熱風と共に空へ舞う草花。大通りから続く白の石畳はひび割れ窪み、もはや原形を留めておらず、至る所から立ち昇る煙によって、焦げた臭いが鼻を突く……

 そこはまさに地獄絵図さながらの光景であった。

 ガイルには、それは少なからず予想ができていた光景であった。以前も再三、同じ急襲が起きたからだ。

 そして、その中心には必ず、嘲笑を浮かべる“やつ”がいる——

 

「遅かったなァ。ガイル」

「また来たのかよ……何度来たって答えは同じだぞ!」

 

 周囲に人の気配がない事を確認すると、少年は再び鋭い眼光で相手を睨み返す。

 膝まである長い砂色の髪に、背には大きな蝙蝠型の翼。片頬を這うように伝う黒の文様——そして、自分と同じ真紅の瞳。

 対する男は意気込む少年を嘲るように、余裕に満ちた薄気味の悪い笑みを浮かべ、右の手から生み出した黒炎を何の躊躇いもなく民家へ放り投げた。

「やめろーーッ!!」

 必死の叫びも空しく家屋は瞬時に灰と化す。

 幸い住民達は避難を済ませていた後だった。ガイルは微かに安堵の息を漏らし、男はうろたえる少年を鼻で笑う。

 惑う心を抑えつつ、すぐさま体制を整えるガイル。しかし彼は、剣の柄を握る手が汗ばんでいる事に気付いていた。残忍で非道なその魔族は、自分にとって何よりも嫌な相手だからだ。なぜなら——

「いつまでこんなこと続けるんだよ……兄貴!!」

 兄、そう呼ばれた男は、漆黒の翼をもって身構えるガイルにフワリと近付くと、光の無い血の色をした眼を見開き、顔面付近まで真顔で詰め寄り囁いた。

「お前が魔族と手を組んで竜人族を滅ぼすか、死んで滅びるか選ぶまでだ」

「どっちも……選ぶかよ!!」

 声を張ると同時に、構えたショートソードで至近距離からの斬撃を放つ。

 出しえる限りのスピードで振り払った筈の剣であったが、男はそれすらもあっさりとかわし、翼を広げ後方へと移動した後、先程までいた場所へと舞い戻った。

 頬を伝う冷や汗、乱れる呼吸。

 実力も、力も、全てにおいて自分よりも上だと少年は確信していた。

「冷てえなあ……またあの頃みたいに呼んでくれよ。“ロア兄ちゃん”ってな」

 ロア——そう、この冷酷な男こそ、黒竜戦争で崩壊した竜人族の数少ない生き残りでもあり、ガイルの義理の兄本人であった。

 再び場に響く、皮肉めいた嘲笑。

 そして、相対する兄の口から紡がれる淡く懐かしい記憶に、ガイルの頭には一気に血が上る。

「竜人族だろうと魔族だろうと関係ねえよ。魔族が好きなら魔族でいればいい。でもこれだけは言える。俺は竜人族のまま生きて、昔の兄貴の心を取り戻す……!」

 

「黙れ」

 

 ロアの表情から笑みが消た。その瞬間、常人なら足が竦む程の憎悪に満ちた風が、一気に周囲を満たしてゆく。

「笑わせるんじゃねえ。蔑まれ、拒絶され、挙句には世界の果てへと追いやられた……」

 右の手から再び黒炎が生み出される。

「甘やかされて生きてきたお前に、俺の何が分かるって言うんだよ!!」

 赤黒く焼け爛れ、痛々しく変形したその手から。

「やめろ……もうやめろって兄貴——!」

 

「ガイルーーっ!」

 

 突如、自らの後方から響き渡る澄んだ声音が、重く緊迫した空気の流れを変えた。

「セレナ……!?来るなって言っただろ!」

「ごめんなさい、でもガイルが心配だったから……」

 息を切らしながら、煤けた石畳の上に立ち竦む声の主は、紛れも無く今城に避難していなければならぬ筈のセレナであった。

 彼女は口元を手で覆い、周辺の無残な光景に息を呑む。

 思いもよらぬ現状に困惑するガイル、そして、少女の登場にあからさまに不快な表情を浮かべる、魔族の男ロア。

 セレナは怯える小動物の様な瞳で彼を一見すると、小さく身をすくめた。

「なんだァ?おいガキ、邪魔するなら八つ裂きにするぞ」

「あ、あの……」

 ロアが不快感を露にした、恐ろしいまでに冷たい視線で睨み返すと、血に餓えた肉食獣から野ウサギを守るように、ガイルが剣を構え二人の間に立ちはだかる。

 だが剣を持つその腕を、小刻みに震える手が背後から弱弱しく掴み、制した。

「ごめんなさい、ガイル。でも……大丈夫」

「セレナ……どうした?」

 ガイルへ向け小さくかぶりを振った後、再びロアへと目を向けるセレナ。そして、その場にいる誰しもが予想もしない一言を口にするのだった。

 

「魔族さん、あの……少しだけお話しできませんか?」