第二話 始まりの夜

 城下町へ続く街道は、皓々と輝く月明かりが小さな集団の足元を照らしている。

 空一面に散りばめられた無数の星々も、その明かりに競い合うように、如何なる宝石にも劣らぬ美しい煌めきを放っている。夜風も、平地を跨ぐ小川のせせらぎも、先程の魔獣との交戦など夢だったのではと思わせるほどに、清らかで心地よい。

 

 どこからとも無く、虫やフクロウの鳴き声がきこえる。普段はそれに加え、兵士達の控えめな談話や足音のみで静かな帰路だが、今日に限っては違っていた。先頭を行く二人、そして一羽のお喋りが途絶える事が無いからである。

 この一団を纏めているのは、まだ年の頃十台半ば程度のガイルという少年。白銀の髪と真紅の瞳、そして他の兵達と比べてみると、明らかに尖った耳と犬歯が特徴的だ。それはセレナの返事を受け取る度に、笑顔の口元からチラリと覗く。

 後に続く兵の一人は、その光景を眺めながら小さく呟いた。

「ガイル殿のあのような表情は何年振りだろうか」

 もう一人も、小さな声でそれに返す。

「ああ、嬉しいんだろう。始めて出合った他種族、しかも同じ位の年の子と話せるのがさ」

「他種族云々はどうあれ……彼の人柄だ。後者は間違いないだろうな」

 そのささやかな会話が、子供達の耳に入る事は無い。

 勿論それは、共に歩むセレナも同じ想いであった。彼女の方こそ、森の民——それに魔獣以外の生物を目にしたのは初めてであったし、ましてやこれまで大勢の異種族と出会いほんの僅かな時間しか経っていないのだから、困惑するのが普通であろう。普通ならばだ。

 けれど、セレナは安心していた。このガイルと呼ばれる少年の笑顔が、不安すら微塵も感じさせないほどに純粋で真っ直ぐだから。

 

 ガイルの問いはまず、なぜリースの森に居たのかという所から始まる。談話を交えつつ、その後も様々な質問が繰り出されたが、セレナが少しでも返答に躊躇うと、話題を自らの思い出話や笑い話に変えたりした。

 森の外、城下町の様子、国での生活。彼は実に楽しそうに話し、セレナは自分なりに想像を膨らませてそれを聞いていた。

「あ……ごめん。俺だけ喋り過ぎだよな」

 ガイルが突然そう告げると、セレナは微笑みながらふるふるとかぶりを振る。

 足の傷を心配し、照れを隠しつつ「背負おうか」と伺った際には、彼女の「大丈夫」という返事に、少年の少しがっかりした様子が兵士達には見て取れた。

 そんなやり取りが続き——

 

「着いたぜ。ここが王都フリースウェアーだ」

「わあ……」

 遠目に見えるぼやけた城下町の明かりも夜の平地に映えて美しいものだったが、月の輝きとはまた違った家々からこぼれる温かい光は、セレナにとって新鮮であり……なぜだか懐かしくもあった。

 町を囲う外塀は丸太同士が連なっている簡素な造りだが、一本一本が太い縄で至極頑丈に結われている。通りへ繋がる門に扉は無く、トーチの置かれた門と思われる場所には、二人の兵士が立っていた。

「ガイル様、お帰りなさい」

「だから様っていうのやめようぜ。何も問題は無かったか?」

「はい、特には……」

 兵の一人が、会話の途中で薄汚れたエルフの少女にチラリと目を向ける。視線を感じたセレナは、咄嗟にガイルの背後に身を隠した。

「ああ、さっき友達になったんだ。城に連れて行くけど問題ないよな」

 兵は僅かに首を傾げつつも、少年の言葉に苦笑いを返す。

「あなたのお連れでしたら皆歓迎しますよ」

 

 ともだち——……

 

 森の民以外の、それも他種族のともだち。セレナはその大きな瞳を一段と輝かせ、兵との会話に夢中のガイルへ向けた。

 高鳴る鼓動、それに対する戸惑いや不安。だが、今の彼女にはそれらがどういった感情なのか、良くは分からない。様々な想いを抱く少女を連れ、一団は町の中央に聳え立つ城へと歩みを進めた。

 

 

 王都フリースウェアーはリースの森から西側へ数時間程歩いた場所、セイル=フィードの南西に位置している。ガイルの話によると、それ程大きな国ではないが、人々から貿易都市、商業都市と称されるだけあり、夜でも大通りの両端に連なる露店から、威勢の良い商人達の声が飛び交うとても賑やかな国だそうだ。

 途中、一団――主にガイルへは幾度となく声がかけられた。店番の子供、恰幅の良い女性、腰の曲がった老人。そのやり取りや対応は、彼の人望や、明るく活発な人柄を十分に感じさせるものだった。

 セレナが驚いたのは、自分に対する人々の接し方。それは町の明かりの様に温かく柔らかで、痩せ細った体を気遣ってくれた者も居た。中には、人間達に混じって獣の姿をした種族も店を開いていたが、町の人々は、それがあたかも当然のように、親しげに会話を交わしていた。 

 ガイルに促され、道中小さな商人に手渡されたビスケットを一口かじって、セレナは思う。

 私が森の皆と一緒に居ることと、変わらないんだ……と。

 

 

 フリースウェアー城は急な石造りの階段を上がった先、木々の茂る高台に建てられており、夜の闇にも映える白煉瓦で造られていた。開けた場所から城下町を臨むことができ、淡い光に彩られた情景は、それは素晴らしいものであった。 

 城内に入ると、先程まで同行していた兵士達は、軽い挨拶の後持ち場へと散って行く。赤絨毯の敷かれた階段へと続く広いホールには、セレナとピィチ、そしてガイルが残された。

「ちょっと待っててくれよな」

 ガイルはそう彼女達に告げると、足早にその場を去って行ってしまった。

 二人きりになった少女達はゆっくり息を吐いた後、辺りを見回す。

 高い天井から降り注ぐ、陽光とは違った眩しいほどの輝き。至る箇所に細かな装飾が施されており、その煌びやかさにはただただ目を見張るばかりだ。

「……」

「すごいわねえ、森の外にもこんなに綺麗な所があったのね」

 あんぐりと開口するセレナの右肩で、小鳥の娘がピイピイとはしゃいでいる。

「でもアタシは、町の優しい明かりの方が好きだったわ!」

 セレナは、半ば呆けながらもこくりと頷き、それに返した。

 

「おまたせ」

 やがて、一人の女性を連れたガイルが戻ってきた。

「彼女が部屋まで案内するから付いて行ってくれ。足の怪我も見てもらうと良いぜ」

 結われた黒髪が美しい物腰柔らかな人間族。隣で丁寧にお辞儀をしている彼女は、子供達の丁度倍くらいの年だと思われる。

「セレナ様にピィチ様ですね。わたくし、女中のレダと申します」

「レダは俺がここに来る前から城で召使をやってるんだ。良いやつだから安心ろよ」

 彼女は僅かに戸惑うセレナに穏やかな笑みを向け、参りましょうと一言告げると、優しく両方の手で肩を抱き歩みを促した。

 赤絨毯が続く通路の途中、レダに連れられながらも、セレナは何度も振り返る。ガイルと離ればなれになる事に、なぜだか不安を感じずにはいられなかったのだ。

 そういった表情を向けられる度に、ガイルは屈託の無い笑顔を返す。セレナにとって、その笑顔が不安を和らげる助けとなっていたのは事実だった。

 

 通路の最も奥には大きな窓があり、夜の町並みがぼんやりと窺える。レダとセレナ達は、その手前の扉の前で足を止めた。

「こちらです。お召し物と治療道具を持って参りますので、中でお待ちくださいね」

 レダはそう言い残し、二人を部屋の中へと案内し去って行く。

 明かりのつけられた部屋は、一人の――小鳥の娘も含めてだが、少女には勿体無いほどに広々としていた。

「ちょっとカビ臭いわねェ。埃っぽいし……使われてなかったのかしら?」

 部屋中を飛び回りながら難癖をつけているピィチは、どこか楽しそうである。

 装飾の施された木製の家具、シルクの天蓋がついたベッド、絨毯の感触も、壁に掛かる美しい絵画も、セレナにとって始めて見る物の筈だったが、不思議と、フリースウェアーの城下町を目にした時と同じ感情が、胸に込み上げる。 

 懐かしいという感情。一度手放した大切な宝物を、この場所で再び手にしたような、そんな胸の高鳴り。

 ゆっくりと目を伏せ、記憶の底を探ろうとしたその時。

「入りますね」

 レダが部屋へと戻ってきた。それと同時に、セレナはハッと我に返った。 

 

「セレナ様、湯浴みするか?と、ガイル様が頬を染めて仰ってましたわ」

 彼の表情を思い出したレダが、薄っすらと笑みを浮かべつつセレナの手当てを続ける。柔らかなベッドの上に腰をかけた少女は、躊躇いがちに首を横に振った。

 レダはそれ以上は問わず、少し黙ってから続ける。

「こちら……あの方が選んだのですよ。あなたに似合うんじゃないか、と」

 それは丁寧に畳まれた、白地に藤色のリボンが施された可愛らしい街着と、鮮やかな若草色の膝まである腰巻だった。

「ガイル様は、あなた様をとてもお気遣っていらっしゃるようですわね。女性の衣装を選ぶなど、これまで一度もなさったことが無いのですよ」

 濡れ布で身体を拭かれた後、薄紅の柔らかな髪は櫛で梳かされる。

 レダの話に耳を傾けながら、静かに身を預けるセレナ。ガイルが選んだという衣装に着替える際は、不慣れな彼女をレダが手伝ったりもした。

 

 程なくして——

「セレナ様、とてもお綺麗です」

 透き通る白い肌、細く長い手足、丁寧に梳かれた髪は絹糸の如く滑らかで美しい。

 エルフらしさをようやく取り戻したセレナに、レダは温かな笑みを向けた。

「あ、ありがとうございます……」

 鏡に映る姿に戸惑いながらも、少女からは年相応のあどけない笑顔がこぼれる。

「——本当に、良く似ておられますわ」

「え?」

 微かに聞き取ることが出来た言葉。レダに目を向けると、その微笑が一瞬ではあるが、消え入りそうなほどに儚く見えた。

「似ているって……」

「おーい、食いもん持ってきたんだ。入ってもいいか」

 セレナの問い掛けは、扉の外から響く声によって遮られた。レダはそそくさとその場を立ち、声の主であるガイルを手早く、丁寧に部屋へ招き入れる。

「ガイル!」

 彼女の言葉に疑問を抱きつつも、セレナからは安堵の表情がもれた。

 ガイルは、香りの良いパンやスープが並んだトレイを手に、なぜか戸の前で立ち竦んでいる。どうしたものかと女達が顔を見合わせると、彼は頬を染めながら小さくつぶやいた。

「せ、セレナ……うん。に、にあってるとおもうぞ」

 自らの発した言葉に更に顔を赤らめ、視線を逸らすガイル。無理もない。先頃のボロボロな姿からは想像もできないほどに、少女はの輝きを取り戻していたのだから。

 その光景に、再び女性陣は視線を合わせると、今度は堪えきれずに笑みをこぼす。

「ふふ。あなた様らしいですわ」

「ガイルってば……」

「わ、笑うな!ほら、さっさと食わないとさめちまうぞ!」

 彼の登場により、場は一瞬にして和やかな空気に包まれた。

 

 

 セレナは、床に座り込んだ膨れ面のガイルのすぐ隣に腰掛け、絨毯の上で食事をとった。小鳥の娘は、セレナから分け与えられたパンの欠片を上品につついている。

 子供達を温かな眼差しで見つめていたレダは、ふと窓越しの空に目を移し——

 その時、初めて気が付くのだった。

 

 夜空を照らしていた月は再び厚い雲にすっぽりと覆われ、そこには彼女の知る十五年前の“あの日”と、同じ色の空が広がっている事に……